「違い」のコラボレーションが新しい価値を生みだす?

ゆるパブリック理事の若新雄純です。今日は、どんな組織や団体にも、一人はいるであろう「無責任な人」の意外な価値と、決して忘れてはいけないことについて考えてみたいと思います。

地域活動や市民活動は、金銭的報酬は得られないことがほとんどです。それでも、そこにやりがいや意義を見出す人がたくさんいて、活動は成り立っているのだろうと思います。とは言っても、金銭的報酬が保証される普段の仕事とは違って、どこまでその活動の役割や責任を果たそうとするかは、その人それぞれです。

「バタバタしていて返事が遅くなりました!」「ちょっと今週はバタバタしていて、来週でお願いします!」みんなそれぞれにいろいろな「バタバタ」があって、金銭的報酬のない活動はどうしても優先順位が下がり、約束もいい加減になりがちです。

地域活動や市民活動の多くは、そんなみんなの「できる範囲」で成り立っているようです。

◆責任マン

そんな中にあって、金銭的な報酬に関わらず、一度関わった活動や引き受けた役割は何が何でも必ずやり遂げ、一度した約束は必ず守るという「責任マン」なる人たちが、世の中には少なからず存在します。我らがゆるパブリックもたくさん活動をおこなっていますが、まさにこの「責任マン」なる人たちによってガッチリと裏支えされています。

僕はこの「責任マン」なる人たちの生態に非常に興味を持ち、インタビューを重ねてきました。どうやら、「責任マン」の人たちの多くは活動の中身やそこでの楽しさ以上に、その役割や責任をしっかりと果たすことにやりがいを感じていることが分かってきました。

一方で、面白いことや楽しいことは大好きだし、いろいろなことを考えたり、提案したりも好きだけど、約束の期限を守らなかったり、肝心な時にその場にいなかったり、といった「無責任マン」なる人たちも地域活動の現場にはたくさんいます。しかし、金銭的報酬がなければ、このような人たちの責任を追及することはなかなかできません。

◆無責任マン

「無責任マン」は、お金をもらわない活動だからこそ各自が自由に楽しむべきであると主張し、できなかったことの言い訳をし、そのくせ自分がやったことはやたらと自慢・主張します。何を隠そう僕はそういう人間です。「責任マン」の人たちは、きっと無責任な人たちのことをとても嫌っているに違いない。実は一緒に活動したくないのではないか?そんなことを思い、立派な「責任マン」の人たちに、申し訳ない気持ちで「無責任マン」をどう見ているのか聞いて回りました。

すると、意外な答えが返ってきたのです。それは、「無責任に楽しく参加することは別に問題ないし、自由に場を盛り上げてくれていいと思う。ただ、できないことをできると言わないでほしい。遅れるなら遅れる、苦手なら苦手と言ってくれれば、それはそれで役割分担だから、どんどん任せてほしい。素直に甘えてくれさえすれば、別になにも問題ないよ。」というものでした。

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