<福井の孫渡しとして贈られる天神様>
―桃太郎って だあれ4―


 孫の誕生がきっかけとなって、「男の子が生まれるとその子の健やかな成長を願って実家から天神様(てんじんさま)が贈られる」という昔から福井に伝わってきている慣習にこれまで意識的に向き合ってきました。

 意識的に向き合ってきているなかで、なぜ天神様なのか? 天神様とはいったい誰なのか? ということに行き当たりました。

 一般的には天神様といえば学問の神様としての菅原道真公を祀る天神様(てんじん)なのですが、菅原道真ではなく「少彦名の命」を祀る天神さん(てんしん)があるということを別冊太陽『カタリの世界―西川照子』で知りました。

 そして「少彦名の命」を代表とする「小さ子伝承」の数々。桃太郎、金太郎、ものくさ太郎、瓜子姫、一寸法師、鉢かづき姫・・・などは昔話として語り継がれてきていて私たちには馴染み深いものです。そうした昔話のなかでも「桃太郎」や、「金太郎」の人形を男の子の誕生のその健やかな成長を願って贈るということは広く全国的にも行われてきているようです。

 その「桃太郎」のお話に出てくる山や川。黍団子。お供の犬、猿、雉。そして鬼。それぞれの意味についてはいろいろな人によっていろいろな角度からの解釈がなされているようです。ここではその実‘桃’に絞って見ていきたいとおもいます。では桃とはどういう実なのでしょうか?

 桃の実については、イザナギの命が冥界から逃げ帰るときとき、追いかけてくる黄泉醜女に桃の実を投げつけたという話しは日本の記紀神話にも出てきています。

 中国の崑崙山の山頂に棲んだといわれる仙女西王母がその手に持つ仙桃もよく目にすることです。

 桃の実といえば私は、まず槇佐知子さんの名前が思い浮かびます。

 槇佐知子さんというお名前を知ったのはもう何年前になるのでしょうか、少なくとも15年以上にはなるのでしょうか。

 車を走らせながら流れてくるラジオの話しに何気なく耳を傾けているときでした。「本来の桃の原種となる実はとても生命力が強く、若い人でなくてもその実を食べると‘にきび’が出てくるほどに生命力の旺盛な実である」という話が耳に入ってきたのです。

 衝撃的でとても興味をそそられる話でしたので、その話しに思わず引き付けられてしまいました。家についてもそのまま車の中で最後まで聞いていたように思います。その放送は何日かにわたって放送されたのですがその日が最後だったのか、あとの放送も間に合ってその話しも聞けたのかは覚えがありません。(著書『古代医学のこころーNHK出版』のあとがきによれば1993年2月にNHKラジオで放送されたというそのときの放送ではなかったかとおもわれます)

 鍼博士・丹波康頼(912―995)により、宋代以前の中国の200以上の文献から選集した世界的文化財でもある医学全書で国宝でもある日本最古の医術書『医心法』を20年かけて1人で全訳されたという「槙佐知子さん」にアナウンサーが話しを聞くというラジオ番組で、その『医心方』という古代医術書には、私たちの身近にある穀物や木の実の医術的意味について詳しく書かれてあるというのです。

 その放送を聴いたあと、槇さんについてもう少し詳しく知りたいとおもい調べたのでしょう。どこでどのように調べ、どういういきさつで手入したのかは記憶にはないのですが、その著書の一冊という本が今までも手元にあって、槇佐知子さんのお名前と、この本のあり場がいつもどこにあるかきちんと私の頭に入っているほどに大切な本の一冊となっていました。

 桃太郎について考察するときには、もう一度槇佐知子さんの世界は通らなければならないという思いがありましたので、今回インターネットで検索してみました。幾冊かの著書が検索されましたので、図書館にて何冊かの本を借りてきました。

 そのうちの『食べ物は医薬-1992年発行』という著書にラジオで聞いたあの「桃についてのくだり」が次のように書かれていましたので、途中から聞いたそのときの話しを改めて確かめることができたのでした。

 『1990年の夏、36度の猛暑のさなか、私は九州西南端の鹿児島県坊津町を訪れ、ケモモらしい桃にめぐりあった。坊津は遣唐船が漂着して鑑真和尚が上陸したところだから、渡来系の果実があっても不思議はない。細かな毛におおわれたピンポン球くらいの赤い桃の実に好奇心をそそられて一口食べ、その美味しさに驚いた。甘さと酸味がほどよい、野趣たっぷりの味である。ケモモの実は血液を活性化し、唾液の分泌を促し、食物を消化させ、月経を通じさせるなどの効能をもつ滋養食品である。それなのに、土地の人々は「かぶれるから」と敬遠し、鈴なりの実は路上に落ちて、腐っているのだ。

関連記事