絵本を朗読する参加者の大学生

◯「絵本」で哲学する

図書館には、絵本がいっぱいある。それをお借りし、参加者の中から読み手を選び、朗読して読み聞かせる。 朗読が終われば、それに対して参加者らがおのおのの考えたこと、絵本の内容から連想した自分なりの風景や疑問などを共有してもらい、特段話す順番を決めることなく、思いついたままにランダムに意見を述べてよい。 私は参加しながらこの場のいくつかの暗黙のルールに気付き始めた。それが「ゆるい」と名のつく所以ともなっているようだ。しかし、そのルールがあることによって「ゆるい哲学」が「ゆるくない」ものをもたらしているのではないかと感じるようになる。

「ゆるい哲学」では自己紹介を一切しない。さらに、考えを述べていくにあたって、どういった発言がされたのかをメモする記録担当がいるのだが、発言者については記録されない。これによって、心地よい程度の匿名性が保たれることになり、意見を発信しやすくしている。

◯答えを求めない

大前提として「ゆるい哲学」は「答え」を求めない。絵本から思い起こされた風景や疑問は、あくまでも呼び水であり、それに対するなんらかの解答を導き出そうとするものではない。参加者の自由な発想を尊重するというスタンスなので、どんな意見であっても否定はされず、純粋に「考える」という行為そのものに没入するのだ。

 「考える」という行為自体はひとりでもできる。だが、考えを発表する機会を得ることはどうだろう?もちろん発表する相手が必要だ。しかし、例えばSNSなどでは誰が意見を言ったのか丸わかりだし、予期せぬところから反論コメントを受けたりして、自分の考えを発信することに恐れやとまどいを感じることもあるだろう。

「それは違うんじゃないか?」などと拒絶されず、「なるほど」「へー、なぜそう思ったのか聞きたい!」と受け入れられる体感は、とてもうれしいことであった。そうやって共有されたアイディアが、新たな呼び水となって参加者の着想を加速し、さらなる発言を促す。「その発想はなかった!」と目の覚めるような驚きと新鮮さを味わう場面も何度も経験した。

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