ジミー・ペイジ 2016年11月9日 15時47分24秒

 ポール・マッカートニーやマドンナ、レディー・ガガら洋楽アーティストのライブ撮影を中心に、AKB48や氣志團らのCDジャケットも手がける福井県福井市出身のフォトグラファー、堀田芳香さん。ロック好きが高じてカメラを手にした彼女には、長年憧れ続けた人がいた。先だって実現した撮影の感動と興奮を福井新聞に寄せてくれた。

   ×  ×  ×

 11月、一生忘れることのない撮影があった。私が10代の頃から今までずっと変わらず大好きなバンド、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジを撮ったのだ。

 二十数年前にペイジとボーカルのロバート・プラントが来日公演した際には、何度も武道館に見に行き、その素晴らしさに涙した。もし全盛期の70年代にライブを見ていたら、魔法にかかったように音楽にどっぷり漬かり、今と全く違う人生になっていただろうとも思う。それくらい好きなミュージシャンの撮影の話が、ローリングストーン誌から突然きた。

 2日後(予定が空いていてよかった!)、インタビューと撮影を合わせてたった15分だという。でも今まで海外の大物を撮影した経験からすると、撮影は5分もあれば大丈夫。存在感があって格好いい人ほど早く撮れるものだから。

 当日しばらく待たされた後、きれいな白髪を束ね、黒ずくめの全身にドット柄のスカーフを巻いたジミー・ペイジが取材部屋に入ってきた。繰り返し見た昔の写真のまま、顔が小さく手足が長くて、ああ本物だと見とれていると、先に隣の部屋へ挨拶に行くらしく、「ローリングストーン誌、バイバーイ」と茶目っ気たっぷりに通り過ぎていった。すかさず「1分後に会いましょうね」と私。なごやかな雰囲気で皆の緊張が解け、私の心も躍り出した。

 しかしその直後、ペイジの長年の友人であり、滞在中の世話もしている写真家のロス・ハルフィンが青い顔でこちらにやってきた。

 「今日の写真撮影は全部中止だ。前回撮られたときの写りがひどすぎて、本人が嫌がっている」

 ええーっ?! あまりに突然のことにスタッフ全員が凍りついている。でもそのとき私の頭には残念だって気持ちは全く浮かばず、どうしたら撮れるかってことをフル回転で考え始めていた。たった今横を通っただけでキラキラと輝いているペイジをこの私が撮るのに、ひどい写りになるわけがない。どうにかしてわかってもらわないと。

 偶然にもハルフィンの息子がマネージャーをしているサヴェージ・メサイアというバンドを前月に渋谷でロケ撮影したばかりで、今回初対面のハルフィンを紹介してもらい「息子さんと仕事をしたんですよ」と先に挨拶をしていた。この際ずうずうしいかなんて気にしていられない。目が合った瞬間、彼に話しかけていた。

 「私だったらきっと格好良く撮れます。どうか本人に交渉してもらえませんか」

 すると「君が渋谷で撮った写真を見たよ。とてもクールないい写真だった。オーケー、ジミーに話してみるよ。ただし何て答えるかはわからないからね」と言ってくれたのだ。

 やったー!! これで絶対に撮れる。こんなに大好きで、こんな縁があって、明治神宮にお参りしてきて、さっき笑顔で「後でね」って言ってくれたのに、今撮れないなんてことはありえない。

 その後、何事もなかったかのように再びにこやかにペイジが現れ、インタビューが始まった。続いて出てきたハルフィンが小声で言った。「君だけ撮れることになった。ただし写真は全部こちらに見せてもらうよ」

 10分後、撮影が始まった。憧れのミュージシャンを前にしても、顔の角度や腕の位置を細かく指示している自分がいる。彼は全てをまかせて素直に従い、最後の2、3カットはほほ笑んでまでくれた。カメラの記録を見ると、その間、1分16秒。白髪でシワがいっぱいになっていても、目の輝きは当時と全く変わっていなかった。私とレッド・ツェッペリンの歴史が重なった、最高に幸せな76秒間だった。

 後から聞いた話では、やはり他の撮影は全部中止になったそう。写真撮影ってほんと奥深い。この日、技術はほとんど必要なかった。そこにあったのは愛と縁と運だったのかな。

 ■ほりた・よしか 1966年福井市生まれ。高志高、大阪市立大、奈良女子大大学院卒。音楽雑誌「プレイヤー」で働いた後、2000年にフリーのフォトグラファーとして独立。メタリカ、ガンズ・アンド・ローゼズ、ポール・マッカートニー、マドンナ、レディー・ガガら洋楽アーティストのライブ撮影を中心に、AKB48や氣志團、クリス・ハート、安室奈美恵ら邦楽アーティストのCDジャケットなども手がける。東京都在住。