◆菜食動物に肉を混ぜた餌を食べさせると

 

 先日、よく買い物に行くお店の人にとてもショックな話を聞きました。かつてイギリスで狂牛病が問題になりました。菜食の羊や牛や馬のえさに、肉を混ぜたえさをたべさせて狂牛病が発生したのです。

 


 狂牛病に関してはずっと以前に(きっと狂牛病がはやった1989年の頃ではないかと思いますが)シュタイナーの著書で読んでいて、強く印象に残っていたのを記憶しているのです。どの本に書かれていたのか本の見当はついても、確実にその本に書かれていたのか、その本のどこに書かれていたのかまでは思い出せません。それでまずネットで「シュタイナー 狂牛病」で検索してみました。その出所は1992年にイザラ書房から出されている『シュタイナー 健康と食事』(西川隆範訳 イザラ書房)に書かれていたのです。(同じシリーズで『シュタイナー 病気と治療』も出されているのです)

 

 ネットにはその本の内容(狂牛病についての概要)についてもかなり詳しく書かれていました。それで、さっそく手持ちの本でその著書を探し出し、読んでみました。なんとシュタイナーは既に100年前に肉食と菜食に触れるなかで「狂牛病」について次のように書いているのです。

 

――牛が草を食べます。牛は草を食べて、それを体の中で肉にします。牛は体のなかに、植物を肉に変える力を持っているのです。牛が「牧場まで行って草を食べるのはめんどうだ。別の動物が牧場に行って、草を食べればいい。ぼくはその動物を食べる」と思ったとしてみましょう。牛が肉を食べるとしてみましょう。牛は、自分で肉を作れます。そのための力を内に有しているのです。牛が草の代わりに肉を食べると、どうなるでしょうか。肉を作る力を使わないことになるのです。どこかの工場で、何も生産せず、しかも工場は営業しているという状態を考えてみてください。そのような状態では、非常に多くの力が無駄に失われます。動物の体のなかで失われる力は、そうかんたんにただ失われるという具合にはいきません。最後には、この力が牛のなかにいっぱい詰まるようになるのです。そうなると、植物から肉を作るのとは違ったことが生じます。力が牛のなかにとどまっています。その力の活動によって、さまざまな汚物が作られるのです。肉が作られる代わりに、有害な物質が作られるのです。牛が肉を食べると、あらゆる有害な物質が体に満ちるようになります。とくに尿酸、尿酸塩が体内に満ちます。尿酸塩には特別の性質があります。尿酸塩は神経組織と脳を溺愛しているのです。牛が肉を食べると、大量の尿酸塩が体のなかに分泌されます。尿酸塩は脳に行き、牛は気が狂います。牛に鳩を食べさせる実験をするなら、牛は完全に気が狂ってしまいます。鳩は穏やかな動物ですが、鳩を食べると牛は気が狂います。
・・・・・・もし、物質だけが活動するなら、鳩を食べる牛は、鳩のように穏やかになるはずです。実際は鳩を食べた牛は獰猛で、荒れ狂うようになります。馬に肉を食べさせると、肉食になれていない馬は激しく興奮し、どう猛になります。・・・・・・肉食は人間のなかで消化されない力を生み出し、その力は正しくない方法で人体内で働き、人体内に汚物を作り出します。もちろんこの汚物は取り除くことが出来ます。・・・・・四月か五月になると、鉱泉に行きます。彼らの体は汚物でいっぱいになっていて、その汚物を排出する必要があるからです。汚物を排出するために、鉱泉に行くのです。・・・・・・――

 

 

 その狂牛病にかかった動物の始末の為に、それらの動物を粉砕して、それを動物の餌として与えたことにより、狂牛病が更に広がったというのです。その狂牛病にかかった動物の肉を運悪くも食べてしまった人間もこの病気にかかったという話は遠い国の出来事として聞いたことがありました。しかし、更にネットの「狂牛病」で検索してみると、発症原因にはいろいろあるらしいのですが、それは今では遠い国の出来事ではなく、既に私たちの身近なところにおいて既に発病しているのだというのです。こうしたことに関心を持っている人に聞いてみると誰もが同じようなことを言われるのです。

 

 こうしたことを目の当たりに耳にしたり、目にしたりするとき、今更ながら人間のなすことに対して“ここまで ‼ ”と、えもいえぬ怒りと恐怖を覚えてならないのです。そして、前著『がんで余命ゼロ と言われた私の 死なない食事』にも書かれている今日の食べ物としての食材の在りようとが重なってつながってくるのです。


 多方面において経済が優先されている現在社会においては、私たちの体にとって大事な食べ物においても私たちの健康が優先される以前に、化学肥料の問題や、農薬や、食品添加物、さらに加えてバイオ野菜などの目覚しい農業の発展として経済の優先化が進められてきているのです。そして、それらに加えての自然の摂理に反しての目先の経済生活の優先の結末としての狂牛病のような、後になってしか現われてこない難病までもが発生してしまっているのです。

 


 そうした病気に運悪く?ではあれ人間が罹ってしまったり、人々の肉体をむしばむ要因となってきているなかで、多くの人がそうした病で苦しまなければならなくなってきているのです。

 

 「食べるというのは、食べ物に含まれている神的な光を自分の内に取り入れる行為である。その光を、いささかでも世界の痛みの救済に振り向けられるように願うばかりである」と『シュタイナー 健康と食事』の訳者である故西川隆範氏は、そのあとがきで書いておられるのです。