2歳の子には机上劇などでおはなしを聞かせて あげたいもの。

おうちではそんなにむずかしく考えずに、まず、おうちの人が良いおはなしを選んで、そのおはなしを毎日、夜眠る前などに、眠りにつくときのやるべきことの一つとして話してあげたらどうでしょうか。大切なことは小さいお子さんにとっては「何を」ということより、「どのように」お話してもらったかというその場の雰囲気のほうが、心に強く残るようにおもわれます。

※赤ちゃんとの歌でのふれあいの動画はコチラ!

さて、ではなぜ童話(メルヘン)を選んで子どもたちにお話しているのでしょうか。‘おはなし’の世界を見てもいろいろな‘おはなし’があることを見てきました。‘おはなし’を見ていくとき、その‘おはなし’は人間の魂のどのくらいの深みの源泉からくみ出されてきているのかを見るのです。

そうした観点から見たとき、「あるところの、ある人が」という特定の場所や人が指定される伝説や私たちの明るい意識から創作された‘創作おはなし’とは違って、童話(メルヘン)は私たちの感覚では捉えることのできない感覚を超えた無意識の魂の深い深みから汲みだされてきているもので、いつの時代の、どこの、どのような人にも通用する、普遍性を持ったものであるというのです。  

こうしたメルヘンは「人生の秘密」や「存在の秘密」に通じている人(秘儀参入者)がこうした知力では理解できない高次元の世界を体験し、その体験した世界を、簡潔で、素朴なイメージで表現したものだということです。

メルヘンの主人公がたどる道筋は、一人ひとりの人間の生の歩みであるとともに、人類そのものの歩みでもあるというのです。そして、こうしたメルヘンをこそ、私たちはひとりの魂の奥深くから求めているのだというのです。(メルヘン論 ルドルフ・シュタイナー 風の薔薇)

子どもは、誕生以前には霊的な世界にいて、そこで体験をしたいろいろなイメージを持って地上に降りてきます。まだ「誕生以前」の霊的世界の余韻の中にある幼児期の子どもは、霊的な世界での体験が無意識の中にたくさん入っていて、この地上での生活を始めると、今度は自分のなかに抱いているイメージに照応するものを地上の中に探し始めるというのです。ところがこの地上では、子どもが出会う世界というのは正反対の世界ばかりで、子どものなかに生きているファンタジー、霊的な背景を持ったイメージを受け入れてくれる器というものに出会えず、そうしたものがこの世で体験されないと、本来は尊い霊的な力なのですが、その力が腐敗し一種の毒となってしまうというのです。

今、この世を信頼して生まれた子の「霊的な憧れ」であるそうした出会いがこの世でなされないと、そのことの裏返しが子供の暴力となって現れてくるのだというのです。

ですから、子どもは自分の魂の養分としてメルヘンを必要としているのです。人間の根源を存在の根源と結び付けるメルヘンを、私たちが子どもの魂に作用させるなら、子どもにとってそれ以上に大きな喜びを与えるものはないというのです。子どもだけではなく、大人であっても、メルヘンに立ち返るのだというのです。

ですから子どもの教育で大事なことは子どもの中に潜んでいるという、そのイメージを呼び出してあげるために、メルヘンをしてあげることが大切になるというのです。メルヘンは子どもにとっての「聖書」だともいわれています。

そうしたことから私たちは、基本として童話・メルヘンを選んで、静かにあまり感情を入れないで子どもたちに語ってあげるのです。よく知られている桃太郎などの昔話や、グリム童話をです。

‘おはなし’の世界はとても広くて深い世界です。いつか機会があれば、更に詳しい、具体的なメルヘンの内容や、それぞれの‘おはなし’に込められているその意味についても、ご一緒に考えていけたらとおもっております。では、どっとはらい。