「今日は田植えで汚れてもいい服のままだから」と年長格のその孫が言いました。しかし、そのときには、私にはその意味がはっきりとつかめていませんでした。

しかし、ようやくわかりました。このことだったのです。当然水着など持ってきておりません。ですから、はじめから海に入ってぬれるつもりでこう言ったのです.

 海の好きな孫たちは海に着くや、すぐズボンをまくり上げて、ざぶざぶと海に入り、いつもの歩いてわたれる岩にあがって遊び始めました。岩にへばりついて海草を取ったり、岩にぴったりとくっついていて、はがそうとしてもなかなかはがれない‘よめがさ’という貝がわずかに浮いた瞬間を狙ってはがそうと貝との戦いを始めているのです。一つの岩にいつまでもへばりついてのその‘よめがさ’への飽く無き挑戦はなかなか尽きそうにないのです。

 海の中で揺れている海草をとったり、今ではわずかしかはえていない ‘うみぞうめん’とよんでいる海草をとって食べたりして一つの岩の上で、いつまでも時間のたつのを忘れて楽しんでいます。

 孫たちが興じているこの岩は、私たちがまだ子どもの頃の昔には深い海のなかにあって、近所の泳ぎのうまい年上の子達はスイスイと泳いでわたっていた岩なのです。一緒に泳いでその岩にわたってみたいという願望とは裏腹に、海を覗くと深い海の中には緑の藻が揺れ動いていてそれを見ただけでとても怖く不気味で、その藻がゆれうごく上を泳いでわたろうなどという思いは一瞬のうちに消え失せしまうのです。

 しかし、ある日、清水の舞台から飛び降りるようなおもいで勇気のすべてを振り絞って、年上の人に続いて海に飛び込み必死で泳いでわたることのできた岩でもあるのです。

 このように私たちの子ども時代はこうした一面厳しさを伴った自然のなかで近隣の子どもたち同士のなかで誰かに教わるでもなく、誰かに強要されるでもなく、それぞれ自分に応じたやり方で、いろいろなことに対して挑戦する勇気や、いろいろなことへの能力が育まれていったものでした。しかし、孫たちはいつまでこの岩でこうした遊びを楽しむことができるのでしょうか。

 実は、この浜に来るたびごとに、たくさんの思い出のある岩が一つ一つと砂に埋もれてその姿の多くが消えていってしまっていっているのです。沖に(昔は沖でした)沈めたテトラポットのせいでしょうか。

 ですから、この‘うみぞうめん’もかつては、岩の生えるところには一面に生えていたものです。時には家に持って帰り、酢醤油をかけて食卓の一品にしてもらい、この季節の海での私たち子どもの楽しみの一つでもあったのです。こうした海草とりや貝との取りくみが高じて、いつの間にか、2人の孫が隣の大きな岩に移り、あの飛込みを始めていたのです。

 気がついて2人の飛び込みをしている岩場に行ってみると、あまりにも楽しそうにやっているのです。2人とももう大きくなっていることですし、しばらくはそのままにして、私も2人の様子を少し高い岩場から一緒に楽しみながら見ておりました。さすが日も傾いてくるとその寒さに耐えられなくなってきたのか寒い寒いと体を震わせながら海から上がってきました。

 砂はまだ真夏の暑さほどは熱くはなっておりませんでしたが、それでも体を温めるには充分な暖かさに暖められていましたので、すぐに砂に横たわらせ、2人の体に暖かい砂をいっぱいかけ、体を砂で包むようにして温めてやりました。

 今日、私たちについてくることができた孫は、帰るとこれからすぐに福井スポーツ少年団の野球チームの一員として練習で明け暮れる生活が始まるというのです。

 野球だけではなく、いろいろなスポーツのグループに加入し、こうした生活を送る子どもは周りにずいぶんと多いということを、孫をきっかけに初めて知らされたのです。そして、家族ぐるみの県内外を問わない応援をともなったそうした生活は中学、高校あるいは大学まで続き、それが家族の楽しみともなっているのだというのです。

 その孫が私たちとともに行動できるのは、おそらく今日が最後ではないかと思うのです。ですから心から楽しんでいるこの時間を少しでも長く彼に与えたいという思いもあったのです。

 新しい生活を始めようとしている孫にとって、今日のこの一時は、彼にとってどんな想いとして残るのだろうか・・・。ふとそんなことをおもいました。この棚田のことは、NPO農・ネットとの出会いがきっかけになったのです。

 昨年のことです、福井新聞の第一面に子どもたちがダイビング用のプールだったと思うのですが、そこでシュノーケリングをしている写真が大きく載っていました。O-15の発症がきっかけとなり、水遊びも高濃度の塩素消毒の中で行わなければならなくなってきた状況のなかで、その対策として、私たちの園では小さい子であっても自然のなかでの水遊びをという思いもともなって親子対象でのシュノーケリングを10年余りやってきていたのです。子どもを自然のなかに解き放ち、自然を充分体験させたいと思っても、保育所や、学校でもそうだと思うのですがそうした枠のなかではいろいろな限界があるのです。

 しかし、その新聞の写真がきっかけとなり、NPO農・ネットとのつながりができ、その支援をいただくなかで、磯遊びとして海の素晴らしさや、海遊びの楽しさを再び子どもたちに体験させてあげることが可能になったのです。

 お世話くださる農・ネットの方の言われた「これは息の長い人材育成の一環です」という一言がとても心に響きました。この言葉に私の言葉を加えさせていただけるならば森林、水産、農業、等々の産業に従事する人材育成である前に、それぞれの道で長年生活してこられたその道の熟練者の方々が子どもの成長を受け止めて差し伸べられる支援の手が加えられての「息の長い人間育成」ともいえるのではないかと思うのです。そこで生き生きとした感情をともなって育まれた一つ一つの体験が子どものうちで自ら変容し、自然界だけでなく宇宙にも拡大する生きた学びとつながっていくとすれば、教育とは、こうしたなかにこそあるように思われるのです。個人的には長年かなうともなく願ってきたことの一つでもあるのです。

 私たちが育った子どもの時代は、田舎に住んでいれば親たちも、何の心配もなく子どもを自然に解き放ち、ゆだね、そのなかで誰にとがめられることもなく、野の花を摘み、山になる実をもいで食べたものです。そして山、野、川、海の充分な自然のなかで育くまれた者は、そうした自然が育む力の厳しさや偉大さは人工的に造られた遊具の比ではないことも十分に知っているはずです。

 しかし、今の時代、社会的にも子どもたちを子どもたちだけで自然の中に解き放ち、ゆだねることはできません。そのすべてを昔のままに再現して子どもに与えることは不可能です。

 こうした社会的状況の中でその道に熟達した人たちの差出されるこうした支援の中でせめてその一端なりでも体験させることができる社会的な取り組みに、私は心からの感動を覚えるのです。(参考文献 シュタイナー教育を語る 高橋巌 角川選書)

 次回も第二7年期の育ちの概要をもう少し見ていきたいとおもいます。