ここでは本当に何にも縛られることなく、誰にはばかることもなく、子どもの育ちにとって本当に大切なことを、それを実践したいと願う親御さんたちと一緒に学び、見い出し、実践していくことができるのです。

こうしたお父さんの折角の参加です。何を一緒に学んでいただいたらよいかを考えました。これまでその必要を強く感じながらお子さん同伴ではなかなかできなかった、子どもの育ちについての読みあわせを中心とした親としての学びの時間も月にもう一回増やすことにしたのです。

今回の、日本の総国民、いや日本ならず世界の人々を心から震撼とさせ、大きな打撃を与えた東日本大震災。それに伴う福島原発の事故。収束もいつかもわからない状況の中で、世界の人々までがいろいろなことを考えさせられています。

川の流れが何かの障害物によって突然せき止められ、それまでその流れによって流されてきたいろいろな‘もの’がせき止められることにより、はっきりと目に映り、確認できるのと同じように、これまでの世という流れに流してきた私たちの様々な在りようが、今、私たち自身の目にはっきりと映し出されているのです。

このことがきっかけとなって、表層的に、あるいはインターネットやブログなど表層下においても、エネルギー問題やそれに伴う私たちの生活の仕方やひいてはその一人ひとりの根本な生き方までもが自分自身の問題として深く問い直される機会として捉えられてきているようです。

多くの人にはよくわかっているのです。今回のことは決して人のせいにして済むことではないことを。

こうした様々なことのなかで親御さんのなかには、これからの子どもの育ちや、そのための自分自身のあり方について真剣に悩まれている方もおられるのです。内なる自分の声を殺してまでも、これまでのように生活を維持するための強い支えとなってきた経済を重視した生き方を続けるべきか、そうした生活の支えとなってきていた仕事(公務員)を思い切り辞め、内なる自分が求めている自分本来の生き方や子どもの育ちの本質を読み取り、その子育てを中心とした生き方を選ぶべきかと。

「私たちの代はまだいいけれど、孫たちが可哀想でならない・・・。これもこれまでのわたしたちの快適な生活を追い求めすぎた結果が招いたことですよ・・・」。不安なおもいで空を見上げながらつぶやくように話されるのは老後の楽しみとして、近くではたけ作りに精を出されている方たちでした。

“子どもはその時代を選んで生まれてきている”このことをこれまで幾度となく本や講演で聞いてきました。孫たちはそのことを覚悟でこの時代を選んで生まれてきているのかもしれないのですがそれでも・・・。

このような未曾有な状況や、自分や身近な人の「死」などを目前にしたまるで崖っぷちに立されたような究極の状況に置かれたときになって初めて、それまで全く気付かなかったり、耳を傾けようとしなかった多くのことが見えてくるものです。

こうした究極の地点に立って‘子どもの育ち’を考えるとき「人間とは何か」という一番本質的なことにたどり着き、そのことを抜きにしてなされる子育ては結果的には砂上の楼閣でしかないように思えてくるのです。

しかし、現実の世に目を向けるとき世の中には一人として顔かたちが同じ人がいないようにその考え方や生き方も様々です。そして人はさまざまにその人なりの人生を終えていくものです。それが今の世の人のあり方なのだと思います。

子育て中の親御さんたちの‘悩みの流れ’のなかには当然家族関係においてのいろいろな悩みが話題にあがってくるものです。

次回ではそうした家族関係のなかの「夫婦(父親、母親)の役割やあり方」についてみていきたいと思います。