昨日まで、喜んで保育園の送り迎えやっておられたおばあちゃんです。息子の離婚が決定され、親権が母親となりました。するとすぐ保育園に「父親側の人には一切子どもを渡さないでください」とお母さんからの申し出がありました。

その数日後、遠くフェンス越しにお孫さんを見ているおばあちゃんの顔がありました。そのおばあちゃんのさびしそうな顔やその光景が、同じような問題が起こるたびにえもいわれぬ思いで思い出されるのです。身につまされながら・・・。

シュタイナー教育では、子どもは自分の生まれたい場所、両親、家族、地域、国を自分で選んで生まれてきているのだといわれています。現代においてはこのことはまだあまり問題にはされていないようですが。

少し前までは福井においても内孫、外孫の区別が厳然としてありました(おじいちゃんおばあちゃんにとっては孫に対するおもいには変わりはないのでしょうが)。しかし、子どもの少ない今の時代においてその区別はほとんどなく、大人の、特に親の都合のよい方で子どもが育てられるということが多くなっているようです。またその親も子どもの少ない時代に育っておりますので、その親の親たちも孫を連れて帰ってきてくれることを望むことも多くなっている時代のようです。

子どもがどこで生まれ、育ちたがって生まれてきているのかを問うことはほとんどなく、少ない孫を大人の満足感を満たすために両家を平等に行き来させたり、時には両家で互いに引き合う状況も起こりかねないのです。

かつて私自身も勤めと子育てにおいて悩んだことがありました。嫁ぎ先には子どもを見る人は誰もいない。しかし勤めは何とか続けたい。そうした思いで子どもが生まれる前に子どもの養育を実母に相談しました。すると母はぴしりと「あなたは嫁いだ身です。嫁いだ先で工夫してみなさい」と一言で断わられました。甘い返事を期待していた私は「なんと冷たい」。その母の返事に対してそう思ってしまいました。

しかし、年月を経ていろいろなことが自分に降りかかる人生経験のなかで今になって考えてみると、状況的に私が長く勤めを続けることができない状況にあることを十分に知っていた母は、例えその道が本人にとって厳しい道であったとしても、本人が通らなければならない道であるならば、道を誤らせてはいけない。そういう思いから言ってくれたのではないかとおもえるようになりました。昔の人は子育てにおいても、そうした人生を見通す厳しい目を持っていたように思います。

若い間は、我慢のできないこともたくさんあることでしょう。本当に自分で気付くまでは誰がなんと言っても耳に入らないものなのです。耳に入らないどころではなく、まるで“焼け石に水”、“火に油を注ぐ”かのごとく自分の思いのたけを激しい言葉で跳ね返さずにはいられないのです。

そうした親の行動を見て子どもは育っていくのです。ですから親として子どもにしてはならないことはなるべくしてはならないのです。人の道理に反することはしてはならないし、させてもいけないのでしょうが・・・。

しかし、そうした人の傍らにあるとき、ただ、ただ深い悲しみから心から祈るしかないのです。本来の自分に素直に向き合えるようになれる日の来ることを。本来の自分に目覚める日の来ることを。しかし、そうせずにはいられない。それが人間として生まれてきている私たちの性なのでしょうね。

『正しい道を求めるならば、誰でも秘伝を受ける者になれる。導師はその人の受けるにふさわしい知識ならば、進んでこれを伝授すべきなのである。しかし、受けるに値しない人物に対しては如何ほどの秘伝も伝授すべきではない。・・・あなたがその人とどれ程深い友情で結ばれていても、どれ程身近な存在の人であってその人の心を、愛を、どれほど享受しようとも、ふさわしい成熟を遂げたときでなければ、その人があなたに秘密を打ち明けることはないであろう。まだ正しく受け取る準備があなたの魂のなかにできていない現在の成長段階では導師に秘密を打ち明けさせることはできない』(ルドルフシュタイナー著 いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかより)

子どもの育ちを考えるとき、こうした夫婦間のこと、家族間のこと、親と成人した子の関係、そのほかいろいろな人間関係の在りようが、子どもの育ちにどんなに影響しているのかを知っておくことはとても重要なことだと思います。人との関係を考えるとき子どもの育ちの問題を考えるとき、そうした人間関係によって引き起こされ生ずる“カルマ(業)”という問題も決して切り離すことができないといわれているのです。

子どもを健やかに育むためにいろいろな理想的な子育てにおいてのハウツーを学ぶことも必要でしょう。しかし、誰もの基盤となっていて避けることのできない、しかしなかなか気付こうとしないこれらのことについてもきちんと今、意識化してとらえなければ子どもの子育てと取り組むなかで、あるいは人生を生きる中で、いつか自分が超えなければならない課題として正面切って出会わなければならないこととなるのです。

これらのことをきちんと意識化してとらえることは、社会的にも今の子育ての在り様をきちんととらえる上で大切なことであるように思われるのです。

◆これからの時代、健やかな子どもを育むうえで

子どもが少ない、精神的に混沌とした今の時代にあって、子どもの存在は社会的にも次代社会を担うという、とても大切な存在でもあるのです。ましてその育成に当たっては実に重要な意味を持ってきているのです。ですから社会を挙げて関心を正しく深め、取り組んで行かなければならないことなのです。

働く親御さんにとっても、子どもの健やかな育ちをできるだけ損なうことなく保育所とともに一層それを支え、補える働きかけがなにかないかをもっと深めてみていかなければなりません。

具体的な子育てについて改めて詳細にみていく前に、次回ではもう少し回り道をして社会的な様々な子どもの育成、支援活動の取り組みのなかになにかそうしたことへのよき解決につながる糸口がないかをさらに掘り下げて考えてみたいとおもいます。