同級生といっても卒業して初めて会ったのではないかと思います。きっと道ですれ違っていれば気が付かなかったとおもうのです。

昨年の夏のことでした。幼、小、中時代のクラス会をするから是非に参加するようにという同級生からクラス会の案内がありました。私たちの学校は鷹巣の高台に建つ学校で幼稚園、小学校、中学校ずっと一緒に学んだのです。多分今でもそうだと思います。途中、中学校になると、長橋や高須、宮郷というところの友達も私たちの学校に通ってくるのです。(高須や宮郷からの山からの長い道のり、どこを、どうやって通学していたのか機会があれば是非に聞いてみたいと思うのです)

環境的には自然に恵まれた素晴らしい学校で、それだけの長い期間一緒に過ごしてきたのです。しかし、クラスの子たちのことやそこで過ごした日々のことはほんの断片的に記憶に上がってくるだけで、その詳細については全く覚えていないことに気が付きました。忘れてしまっているということでしょうか。それともまだそれほど意識して捉えることがなかったのでしょうか。

まだクラス会の返事ができないままでいました。それでも熱心に誘ってくれる幹事の彼女に、思い切って行けない理由のほんの一部を話して参加をお断りしたのです。しかし彼女にはクラスが違ったのであまり理解できなかったことのようでした。

それは、ことあるごとにいつも記憶に上がってくる、一人の同級生の男の子の‘眼差し’にまつわることです。今まで確実にそうだったと思えていたことも、遠い昔のこと、定かなことではなかったのかもしれないと思うようになってきてはいるのですが・・・。

確か、中学3年生の時のことだったように思います。ちょうど漢字のテストの点数が廊下だったかに張り出されていたのです。それを見ようと近寄って行ったところに、同級生の男子が一人そこにいました。何をしていたのかはわかりませんが、その時彼と目が合ってしまったのです。その眼は何か照れたような、目のやり場に困ったような日頃の彼からはとても想像できないとても優しい目でした。彼はその時、たくさんの男子の生徒を手下に従え総大将となってみんなを怖がらせていたのです。私も内心彼を恐れる気持ちがないと言えば嘘になります。彼を大将とした男子生徒だけの教室に毎日友達が一人ずつ呼び出されていたのですから。そこで何があったのかはいまだに知りません。そしてそのことについてこれまで誰かに聞いて確かめようと思ったり、そのことに触れたりすることは全くなかったのです。ただその記憶にまつわることなどによって私の心の警戒が解かれることなく、心を閉ざしてきていたようで、クラス会には、どうしても参加する気にはなれなかったのでした。

当時担任の先生から、そのクラスの状況について、ノートに書いて報告してほしいと頼まれたことも覚えています。しかし、実際に何が起こっているのか私にもその詳細はわかっていなかったのです。ただ、そんなことを私に頼む先生に対しても反発的な思いとなり、即座に、「できません」とお答えしたのを覚えているのです。その時の私にはそれ以上のことは言わなかったのですが「そんなことは先生が自分で調べてください」と、そう言いたかったのです。本当は先生に調べてもらって安心して毎日を過ごしたいという思いも心の奥にはあったのだろうと思います。

その彼らの行為の原因が小学時代の出来事から来ていると私には確信的に思えていたのです。ですから、私自身彼らを恐れる気持ちとともに彼らを擁護する気持ちもあったのです。

小学も高学年の時です。ある日、担任の先生に学校が終わって残るように言われ、私一人放課後残されたのです。なぜ私が残されたのかその理由も、そこでの担任の先生との詳細なやり取りも全く覚えていないのです。ただ、担任の先生が、机に顔を伏せて泣いていた場面だけが記憶に残っているのです。しかし、まだ小学生ながら私にはなぜその先生が泣いているのかがわかっていたのです。今思うと、それが一方的な私の思い込みからだったのかもしりませんが、その時には確信的にそう思っていたのです。同級生の何人かの男の子たちが先生に体罰を受けたということを友達に聞いたのか実際に見たのか記憶しているのです。

その頃の私たちは、まだまだのどかな時代で、長い昼休みの時間になると学校の裏の海にまで下りて、ひと遊びもふた遊びもしたのです。海に下りる道は確かあったと思うのですが、その道を下る時間が惜しくてあの勾配の急な松林を一本一本の松の木に体当たりでぶつかって受け止められながら次々と駆け下りたのです。帰りの登りの大変さを少しも厭うことなく。

その坂で、放課後、男の子たちは机のふたで滑ったりしたらしいのです。当時の机はふたがあき、取り外しできたのです。そのことで、男の子たちは先生に怒られ、いっぱい水が入ったバケツを持って立たされたとか・・・、先生の履いていた皮のスリッパでたたかれ血が流れたとか・・・という情報が私にも入っていたのです。そんないきさつに対して、担任の先生に何かがあって、先生が机にうつ伏せて泣いておられたのだと当時の私は確信的に理解していたのです。

しかし、なぜ私が残されたのか、当時はそのことすら先生に聞いてはならないことのように思え、まるで軽い金縛りにあっているかのように、先生から帰りなさいと言われるまで困惑した思いで先生のそばにいたのを覚えています。しかし、家に帰って親には言えるはずもなく、(確かに家の者には言わないように言われたようにも思います)なんだかとても嫌な思いだったのを記憶しているのです。

そうなのです。なぜか子どもは、いじめやそうしたことに関しては誰にも話せない、話したくないということがその経験からよくわかるのです。(今の私は、なぜ子どもはそうしたおもいになるのかについてその時の子どもとしての気持ちをもっと突き詰めてみる必要があるようにも思えるのです)

そしてなぜか、何の関連もなく、その男の子のお父さんが一人道を歩いている姿も時々思い浮かんでくるのです。その表情は決して暗いものではないのではないのですが、今、そのお父さんの心境を思うとそれらのことが事実であったのであれは、どんな思いだったのだろうとその心中を察する思いなのです。後日、彼の消息を友達に尋ねると、彼はずいぶん前に亡くなったと聞かされました。

今日、学校教育においてのいじめが大変問題になっています。いじめは私たちの時代にもあったのです。しかし、そのいじめの根は私の上記のような経験からも子どもたちばかりを責められないようにも思われます。

いじめや暴力はだれもが好むことではありません。しかし、クラス会に参加したくないという思いが、大人社会にあっても、いじめや暴力に対してはとても警戒心が高まり、極力そうしたところを避けようとしている自分に気づかせてくれたようにも思えました。

今更ながらですが、いや、今になってようやく、いつか私も、私のためにも、彼らのためにもきちんと正しく理解をすることが必要におもえるようになりました。もし良き同級生との出会いの機会があれば勇気をもって心を開き、真相を正す糸口を見出す努力をしてみようかとも思えるまでになったのです。その糸口がわかめを分けてもらった同級生との出会いにもあったように思えるのです。