◆アドベントの庭

もうすぐクリスマス。 “療育療育スペース ゆう”で行われる‘アドベントの庭’へのお誘いをいただきました。かつてこの行事に家族で参加させていただき、あまりに素晴らしい行事でしたので、機会があれば、是非にもう一度孫たちにこの行事に参加させてやりたいと前々から思っていたのです。しかし、折角のお誘いをいただきながら今回行けないのがとても残念です。

以前、うんちく「聖なる時期に考える子どもとの関わり方」でも書かせていただいたように、家族で参加させていただいたアドベントの庭が思い起こされてくるのです。

「キリスト教においては、アドベントといって、クリスマスを迎える心の準備のような期間が12月早々から始まります。アドベントカレンダーで、皆さんにはおなじみかもしれませんね。(アドベントカレンダーが大好きな孫たちにも毎年ドイツから送られてきています)。たいてい12月の最初の日曜日に、子どものために、‘りんごろうそくのまつり’(アドベントの庭)が行われます。ご縁をいただいて孫たちと、この‘りんごろうそくのまつり’に参加させていただきました。一本のろうそくの炎に照らされた薄暗い会場には、会場いっぱいに大きくモミの葉で時計回りのらせん状に道が描かれています。〈どちら回りかにも意味があるようです。〉ライヤーという楽器が柔らかな音色を静かに奏でるなかを、子どもたちが、白い柔らかな女神様のような服に身を包んだ天使に導かれて、中央のろうそくからりんごろうそくに‘あかり’をいただいて、後に続く子たちを照らすためにその道にあかりを置きながら、静かに歩む光景は、とても厳かで、神秘的です。付き添いの私たちまで精神界からのシャワーをいっぱい降り注いでいただく思いがいたします。それはまるで、子どもたちのこの世への誕生までの道のりの再現のようでもあり、冬至に向かう一年で最も夜の長いこの暗い季節に、心の中に精神の灯りをいただき、キリストの降誕を待ち望むまつりのようにも思えます。‘りんごのまつり’はひとつの秘儀としての祭りだともいわれています。(その秘儀とは‘自我の秘儀’とも言われているというのです)」(「聖なる時期に考える子どもとの関わり方」うんちく2007/12より)

アジアにおける第1回人智学国際会議における高橋巌氏による「アジアの人智学」での講演録には「自我」についてこう書かれています。

『人間がここに存在している。だから人間には存在する目的があるはずだし、人間のその目的に従って、人間をつくった技術者がいるはずだ。――この技術者のことを古来、神様と言いますよね。で――神様の思いが、人間一人ひとりという形になってあらわれている」、という風に考えるのです。そして神様のその根源的な思い、こういう人間をつくろうとした思い、その思いが私たち一人ひとりの中に存在しているとすれば、その存在している思いのことを、シュタイナーは「自我」とよんでいるのです。(人智学第 13号 特集より )』

その時いただいたリンゴろうそくを大事そうに両手で包んで、帰り道の薄暗い林の中を歩いていた子どもたちの姿が今でも目に焼き付いているのです。
ドイツに住む娘からのメールにも、「子どもは今、私が実習していたシュタイナー幼稚園のプレイグループに行っています。私も久々にシュタイナー幼稚園に行く機会が出来て、毎回行く度にとても神聖な気持ちになれます。特に今はアドベントの時期なので、ミツロウのロウソク作りやクリスマスの歌に子どもにとっても、とても深い愛の体験になっていると感じています」と書かれていました。

夏の“療育スペースゆう”で子どもたちと一緒に読まれていた詩と詩劇について脇坂氏から補足のメールをいただきました。その補足には、まど・みちおや有馬たかしの原詩(せみ)を編成してそのまま用いましたとありました。その編成された‘詩劇「自分」’を通して子どもたちに伝えようとされていることは、さらにこのアドベントの行事にも引き継がれていくと書かれていました。もう少し詩劇について深めたいと思い、そのお二人の詩を読ませていただく前に、その方々についてインターネットで検索してみました。〈暗譜への一歩「まど・みちお」存在するってなんて素晴らしいんだろう(1・・・)で検索すると次のようなことが書かれていました。

「一生懸命になれば、一人ひとりの違いが際立つ。いのちの個性が輝き始める・・・。自分が自分であること。自分として生かされていることを、もっともっと喜んでほしい。それは何にもまして素晴らしいことなんですから。」と書かれていたのです。孫娘が‘ゆう’で作らせていただいたランプシェードを送ってきていただいたときのメールにも、その灯について‘比叡山の延暦寺の灯明’や,‘一燈園’、‘自灯明、法灯明’にも触れていてくださっていました。

そして「詩劇の体験は12月に行われる‘ゆう’での‘アドベントの庭’でりんごローソクを持って行います」と付け加えられていました。脇坂氏の子どもたちへの一貫しての思いの深さがさらに深く伝わってくるのでした。

ですから、シュタイナーのいう自我の解釈から言えば‘アドベントの庭’の行事はキリスト教においてのみおこなわれる行事ではなく、普遍性を持っていて、もっと広く万民に祝われてもよい祝祭行事のように思われるのですが・・・。

そして‘魂の保護を求める子ら’への支援教育を書かせていただくにあたって、さらに‘シュタイナー治療教育へのしるべ’等をメールに添付して送っていただいてきております。次回でそのしるべを参照させていただきながら、さらにもう少し深めていけたらと思っております。