平泉寺は「泰澄大師伝」としては知られていても『義経記』に書かれているということは私も全く知らなかったのでした。初めに立ち寄ったという観音堂も、少し外れて、うっかりすると通り過ぎてしまいがちな所にありました。あちらこちらには今回の公演のビラが貼られていて、地元としても力を入れて応援されていることが伝わってきました。近くにおられた地元の人にこの伝説についてお聞きしてみると、地元では小学校で習っていて皆さん既によく周知のことだったのです。そして、今回の公演に対しても、参加されるお子さんに対しても地元として、期待を持って応援されていることが伝わってきました。

こうしたことも含めて、今回は、私たち家族にとっても子どもが出るという受け身的公演会ではなく、まさに家族ぐるみの参加型公演となったのです。

主催者側も、なにかと忙しい子どもたちのそれぞれの都合に合わせて、稽古日を一日追加されるなど稽古の時間を増やしてくださいました。それでも、子どもたちのセリフにはなかなか気持ちが入ってこないようです。

公演日前日の、学校が終わってから夜の9時頃までの本番に近い舞台での練習には、当日朗読される俳優の方や演奏される出演者の皆様が揃っての通しげいこが行われました。

当日の舞台そのままの、朗読や素晴らしい演奏が加わっての笠松氏の指導の下での通し稽古です。すると、どうしたことでしょう。子どもたちの感情に火が付いたのでしょうか、子どもたちの感情が動いて、セリフに気持ちが入ってきたのです。それまでの稽古やハーモニーホールのスタッフの方々の支援もあってのことだとは思います。

子どもたちの稽古を付き添いとして、それまでずっと通して見せていただいていると、その変化が手に取るように伝わってくるのです。そして、不可能なことではあるのですが、こうした状況から稽古が始められれば、もっと早く子どもたちの感情に火が付いたかもしれないなあと、またとないこうした場に保護者として立ち会わせていたけることの幸せを本当に感謝しながら、子どもたちの舞台を見せていただいておりました。

そして、当日の本番前の通しげいこに増して、本番に強かった子どもたちの演技は素晴らしかったのです。子どもたちの動きやセリフ、杖を突く音のすべてが、演奏家の奏でられる音楽にマッチして、それらのどの一つが無くても、いや、どの一つもすべて見事に音楽朗読劇「平泉寺の義経と弁慶」に必要な大事な要素となっていたと感じられたのです。

そしてオリエント的楽器の奏でる、「管弦の宴」の音楽は、時としては、北の方である白拍子の静御前が現れて、まるでその音の調べに合わせて舞を舞っているかのような、あるいは、ときとして、春日神宮の神の前での雅楽の調べにシルクロードの道のりの音が重ねられたような、それにもまして、これから育とうとする子どもたちに対して、熱い思いをもって、取り組んでくださったハーモニーホールのスタッフの皆様はじめ、福井出身の笠松氏や朗読された小木茂光氏、そして、それぞれの楽器を演奏してくださった演奏家の方々の誰からも暖かくも熱い思いが、声やそれぞれの音色に托されて、まるで見えないけれども幾筋もの細い糸となってキラキラと輝いて放射され、子どもたちに届けられているのが、「宴」の音楽の音色に加わっているように見え、感動と感謝と至福の思いのなかに浸らせていただいていたのでした。

何もできなくても、今回のように子どもたちを通して、その音楽朗読劇の当日までの行程のつぶさに立ち会わせていただく機会をいただき、いつもの切符を買って鑑賞者として席に座って音楽を聞かせていただくときと違って、音楽を更に深く体験させていただくことができたようにおもえます。

今回の福井の歴史を踏まえた折角の素晴らしい音楽朗読劇です。孫や私たちの体験させていただいたことを、今後もさらに機会あるごとに、多くの子どもたちや多くの方々に体験できる機会が与えられて、学童期にあるこの子どもたちの感情が福井に伝わるさまざまの歴史が芸術という世界を通して豊かに育まれていくことを心から願わずにはいられませんでした。

「7才から14歳の成長期の子どもは感情をいかに育てるかということが基本的な課題になるのです。感情を生み出す文化をふつう芸術といいます。シュタイナーは教育を教育科学とは言わずに、教育芸術と云いました。そして感情は時間の中で存在しており、空間のなかでは存在していないということです。歴史というのは、ほとんどが感情なのです。ですからこの年代の子らには歴史を通して感情を育むことがふさわしいのです。」と書かれていることを目の当たりにさせていただいた思いでした。

そして、練習の中で、‘いい声だね’と笠松氏は何人かのお子さんに声をかけられたのです。その‘いい声’とはどういう意味から言われたのかはわかりませんが、音と深く関わってこられている方の言葉でしたので特別な印象として残ったのです。‘いい声’と云えば、これまで剣道の毎日の練習でも、前に立って号令をかける子の声に‘なんていい声!誰だろう・・・’とお母さんたちが思わず聞き耳を立ててしまうことがあるのです。道場一杯によく響く声というだけではなく、思わず何か、人を引きつけてしまう要素が含まれている声なのです。その声の違いがずっと気になってきていたのです。‘のどぼとけ’ともいわれていますように、未来においては、「喉頭が人間になる」というちょっと理解しがたいシュタイナーの言葉がどこかの本に書かれていたのが思い出されてきたのです。今回、その声は、それぞれのお子さんのそれまでの育ちとなにか深い関わりがあるようにも思え、新たに「声と教育」という課題が与えられた思いがしたのです。

参考図書
シュタイナーコレクション1『子どもの教育』筑摩書房
『シュタイナー教育を語る』高橋巌 角川選書