1982年の8月に、私は米国テキサス州ヒューストンにあるテキサス大学の大学院に留学した。のちに国際生物学賞や京都賞を受賞された根井正利教授の研究室に加わった。

 さいわい、フルブライト奨学金をいただくことができた。この面接のときに、私が集団遺伝学を勉強していると言うと、日本における代表的な集団遺伝学者の名前を言いなさいと、明らかに米国人とわかる風貌の面接員が尋ねた。そこで私は、木村資生、太田朋子、丸山毅夫という3人の名前をあげた。三番目の丸山先生は国立遺伝学研究所の教授だが、論文を読んだことしかなかったので、まさか目の前の審査員の一人がご本人とは知らなかった。

 このような幸運もあり、奨学金を得ることができた。もうひとつの幸運は婚約である。留学したらさみしいなと思い、結婚してくれる相手を探していた。

 日本の大学院での指導教授だった尾本惠市教授は、ネグリトと呼ばれるフィリピンの原住民から珍しい遺伝子をいくつか発見されていた。これらの遺伝子がいつごろ生じたのかを、遺伝子が枝分かれしてゆく過程を数学的に記述した分枝過程理論を使って推定するというのが、私の修士論文のテーマだった。

 このネグリト人を研究した文化人類学者の清水展さんからネグリト人の家系図を見せていただき、そこから遺伝子の伝達確率を推定したりしていた。このような縁から、あるとき清水さんの家で開かれたパーティーに招かれたのである。

 そこで出会ったのが、清水さんの文化人類学での後輩にあたり、当時ある出版社に勤めていた妻である。最初に結婚を申し込んだときには一笑に付されたが、何度も粘り強く頼み、フルブライト奨学金を得たこともさいわいしてか、了解してもらった。しかも、彼女の父と私の父がともに旧制松本深志中学で同学年だったこともプラスした。まことに人生は偶然に左右されると思ったものだ。

 留学前にはフィリピンでの現地調査にも参加することができ、パラワン島やルソン島北部などを転々とした。楽しい思い出である。

 留学してから最初の1年間は単身ですごし、その後の3年間は妻もヒューストンの大学院に入学して、ふたりとも大学院生の新婚生活だった。

 最終的に完成した博士論文に掲載した3章はそれぞれ3個の論文としてその後発表した。なかでも1987年に刊行した近隣結合法を提案した論文は、2013年にネイチャー誌が発表した引用回数ベスト20の論文のひとつに選ばれた。現在でもこの論文の引用回数は増加しており、すでに6万5000回を超えている。おそらく日本人研究者による論文としては、もっとも引用回数が多いだろう。

 近隣結合法は、多数の遺伝子のあいだの進化距離のデータから、進化系統樹を作成する方法である。全体を2個と残りの遺伝子にわけた系統樹を仮定し、その系統樹の枝の距離の合計を計算する。最小の合計距離をしめす系統樹を選び、選ばれた2個の遺伝子を「近隣」とする。この操作を繰り返して、最終的な系統樹ができあがる。

 近隣結合法は進化距離でなくても、どのような距離でも使うことができる。わたしたちは日本語と琉球語の方言間の言語距離から、近隣結合法をもちいた方言系統樹を作成したこともある。ちなみに福井県の方言は、富山県と石川県が結合された近隣とさらに結合しており、北陸3県がまとまっていた。

⇒エッセー「時の風」福井新聞D刊に最新回

 留学からもどってしばらくは東京大学に籍をおいたが、縁あって1991年、国立遺伝学研究所の助教授として迎えられた。中立進化論のメッカである三島(静岡県)で研究できるとは、望外の喜びだった。(2022年5月8日福井新聞掲載)

さいとう・なるや】 1957年鯖江市生まれ。東京大理学部生物学科卒、米国テキサス大大学院修了。国立遺伝学研究所特任教授。文部科学省の新学術領域研究「ヤポネシアゲノム」領域代表。専門はゲノム進化学。著書に「日本列島人の歴史」「核DNA解析でたどる日本人の源流」「人類はできそこないである」など。