会見で「安否だけでも、一日も早く」と訴える地村保志さんの父、保さん。右は浜本雄幸さん=1998年4月17日、衆院議員会館

 1995年6月、朝日放送(大阪市)のプロデューサーだった石高健次さん(71)は韓国の情報機関、国家安全企画部(安企部)の高官から、日本人の中学1年生の少女が北朝鮮に拉致されたという情報を得た。

 77年に新潟県で失踪した横田めぐみさんの可能性が高いことが分かり97年1月、めぐみさんの父滋さん(故人)、母早紀江さん(86)が住むマンションで、その事実を伝えた。

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 「早紀江さんは体を震わせていた。一言一句、聞き漏らすまいとしていた」。その様子を見てこう思ったという。「俺は(記者という)傍観者ではなく、当事者になってしまった」

 それまで、福井県小浜市の拉致被害者地村保志さん、富貴恵さん夫妻=ともに(66)=の家族など、全国各地を取材していたが、家族同士の接点はほとんどない状況だった。「分断されている家族をつないで会をつくる必要がある」。関係者で手分けして家族に連絡した。

 95年、石高さんは拉致被害者有本恵子さん=失踪当時(23)=の両親を連れて外務省に調査を要請したが、部屋に入れてもらえず、立ち話のような状態で、担当者から「確認できない」と冷ややかな対応をされた。「個人で動いても、国は動かない」。身にしみて分かった。

 97年3月26日、地村保志さん、富貴恵さん夫妻ら7人の拉致被害者の家族が東京に集まり、家族会発足の記者会見を開いた。富貴恵さんの兄、浜本雄幸さん(93)は「みんな嘆き悲しみ、緊張状態が極まっている。一日も早く帰国できるよう力添えをお願いする」と涙を浮かべた。

 当時の正式名称は、「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会。強烈なインパクトがある拉致という言葉を使うことに消極的な家族もおり、2002年に北朝鮮が拉致を認めるまで、かぎかっこを使った。

 会見の会場には、大手新聞やテレビ局など、大勢の報道陣が詰めかけた。朝日放送のプロデューサーだった石高健次さんは「国を動かすにはメディアしかない。国も無視できなくなった」。2年前に取り合ってくれなかった外務省も、家族と要望に回ったときは、責任ある立場のアジア局長が対応した。その後、政府は公式に地村さん夫妻らを拉致被害者として認定した。

 02年10月、政府認定拉致被害者17人のうち、地村さん夫妻ら5人が帰国を果たした。あれから20年。被害者は一人も取り戻せていない。

 石高さんは長年の拉致取材を振り返り、「中学生を拉致したのは、北朝鮮の情報機関。中学生の拉致を(自分に)伝えてきたのも(韓国の)情報機関。国家安全保障を語る上で、日本に情報機関がないのは致命的。情報機関があれば、水面下で交渉ができ、被害者救出につながる」と指摘する。

 横田めぐみさんがバドミントンの部活帰りに拉致されてから45年の歳月が流れた。中学1年生の少女は、現在57歳。石高さんは「めぐみさんの存在は、日本に『これでいいのか』と問い続けている。歴代首相が口にする『拉致は最優先課題』という言葉はあまりに軽い」。

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 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会が発足し25年がたった。今なお北朝鮮に残る被害者の家族や政治家の思いを紹介し、国の在り方を問う。