<エーテル体(生命体)>
さらに上記『シュタイナーコレクション1 子どもの教育』には、
「このエーテル体は、肉体の素材やその力に生長、生殖作用、体液の循環等の現象を生じさせる働きをする。つまり肉体の形成者であり、育成者であり、かつまたその居住者であり、建築家でもある。したがって、肉体をこの生命体の模造もしくは表現である、と言うこともできよう。人間の肉体とエーテル体とは、その形も大きさもほぼ同じであるが、決して完全に同じではない。・・・エーテル体は力の形姿であり、作用する力から成り立っているのであって、素材から成り立っているのではない。」と書かれています。

東洋でもそれを「気」といい、そうした考え方は東洋の私たちにはすでになじみのことではあるのですが、「気」の力が人間の肉体を循環していて、それが生態を維持しているという考えを取るのだというのです。ですから、教育において大変重要となるエーテル体にかかわる事柄、気質、性格、習慣、記憶力、リズム、循環作用、呼吸作用、などをどのように生かしていったらよいのか、その生かし方が教育の重要な課題となってくるのです。

その生かし方について『シュタイナーコレクション1 子どもの教育』には引き続き次のように書かれています。

「歯が生え変わる頃から、エーテル体に直接働きかけることの時期が始まる。それではどうしたら外からエーテル体に働きかけることができるのか。
エーテル体の育成とは、傾向、習慣、良心、性格、記憶力、気質の育成、発達のことであるが、そういうエーテル体を教育するには、具体例による想像力への働きかけが有効である。7歳までの子どもには、模倣することのできる具体的な手本を与えねばならないが、歯の生え変わりと思春期との間の子どもの環境のためには、子どもがその環境の意味や価値にしたがって生活できるように、あらゆる配慮をしてあげることが必要になる。有意味なものが必要になる。想像力が、生き生きとした形象や比喩に支えられて、エーテル体を活発に働かせるとき、エーテル体の力は発達する。抽象的な概念は、成長しつつあるエーテル体に正しく作用することができない。」

知性の働きは、「概念化」を通して行う知的な働きと、それから「形象化」を通して行う働きと二つあって、大人は概念化を通して知的能力を発達させるのに対して、7歳から14歳までの子どもは形象化を通して知的能力を発達させるのだというのです。

ですからこの時期の子どもは概念によってではなく、イメージによって教育されなければならないというのです。大切なのは子どもの想像力を刺激するイメージを、共感を呼び起こせるような生き方のイメージを、美的なかかわり方、つまり、想像力を働かせることなのだというのです。そのように、感情のエネルギーが伝わり、子どもの心がときめくような授業内容であることがこの時期の子どもの教育者には求められることだというのです。

「実際、教育は学問ではありません。芸術でなければならないのです。」とシュタイナーがここでも言っているように、教育は、「教育学」とは言わずに「教育芸術」という言い方で表せるというのです。感情が生み出す文化を普通「芸術」といい、芸術の創造も享受も、感情のエネルギーがなかったらそもそも不可能だというのです。シュタイナーの思想の実践はすべて、生きることそのものが即芸術だという観点が基本的にあるというのです。

<アストラル体>
アストラル体については『シュタイナー教育を語る』角川選書、や『シュタイナーの治療教育』には次のような説明がなされています。

アストラル体は「星の体」という意味だそうで、シュタイナー教育の重要な基本概念になっていて、アストラル体が占星術などでの星の影響を受けているからだそうです。

私たちの心の営み全体の働きそのものをアストラル体と呼んでいて非常に変化しやすいのですが、その変化には一定の法則があってその法則のことをシュタイナーは共感と反感と名付けているというのです。共感の場合には喜びや楽しみ、希望や願望としても現れます。反感の場合には、嫌悪や嫉妬憎しみ、あるいは悲しみとなって表れます。そして基本的には快感と不快感という形をとって働くのでアストラル体は、必ず、自分との関係によって成り立っていて、ある対象が自分にとって好ましいものか、好ましくないものか、それを感じ取る働きがアストラル体ともいえるのだというのです。

昔から日本ではアストラル体のことを龍と言っているそうです。龍は、ヨーロッパではドラゴンといって主として悪い意味に使われているそうですが、それはキリスト教が、特に聖書の中の「黙示録」が龍のことをそういう形で表現して以来だそうです。しかし、龍は東洋でも西洋でも、私たちの心の状態を形であらわしたものだというのです。

日本では善なる龍も龍という名前で呼んでいて、龍によって人格の成長と発展を象徴させているというのです。日本での悪龍は動物的、原始的なアストラル体のことで、本能的で、自分のことだけに関わっていこうとする場合、黒龍という言い方をするという。それに対してよい龍は白龍、金龍というのだそうです。殊に金龍という言い方をしますと、それはすでに自我の中で培われた特別優れた心性、仏教で言う大我や霊我にあたる部分のことで、例えば、観音様の姿は金龍に乗って表れるというのです。金龍というのは、観音様の体である最高のアストラル体のことを言うのだそうです。・・・

そのように、龍というのは、人間のアストラル体のことで、これは、いくらでも成長することができるのだというのです。その成長するプロセスは、私たちがアストラル体の中に、どこまで優れた概念を、しかも死んだ概念ではなく、生きた生命力のある概念を生かすことができるかによって決まってくるのだというのです。

アストラル体の働きは、その人のエーテル体に直接作用し、自己をそこに刻印づけます。私たちのアストラル体が何かに感動したとします。その思いが強ければ強いほど、エーテル体にその思いが刻印づけられるのです。そうしますとエーテル体には持続力がありますから、一度エーテル体に刻印づけられたそのアストラル体の感動は、アストラル体の気分が変化してしまったあとでも、その人の人格をしっかり支えるようになってくるのだというのです。(シュタイナーの治療教育より)

その龍が東洋では、いつも玉を抱いていて、しっかりと握りしめているその玉の部分を、神秘学では「自我」というのだというのです。つまり私たちの心の大切な部分に、アストラルと違うものがあるというのです。それはいわば玉のように貴重な存在であって、その玉を抱いてアストラル体が生きているというのです。そのアストラル体の抱いている自我は、まだ小さな玉のような状態で、アストラル体の中にしっかりとしまい込まれ、担われていて、21歳以後から28歳前後の二十代の大部分の時期を「自我の時期」といわれているというのです。(『シュタイナー教育を語る』より)

次の成長期「自我」についての大切なことを次回でご紹介していきたいと思います。
参照図書
『高橋巌 講義録』 桧原こひつじ幼稚園 発行 1986年4月30日
『シュタイナー教育を語る』高橋 巌著 角川選書
『シュタイナーコレクション 1 子どもの教育』高橋 巌訳 筑摩書房
『シュタイナーの治療教育』高橋 巌訳
『ルドルフシュタイナー教育講座別巻 十四歳からのシュタイナー教育 高橋巌・訳 』(筑摩書房)