長らく全く迂闊(うかつ)なことをしてきたものだと、情けなく自省している。他でもない、昔話の発端句の「とんと昔」の深い意味も考えず、単なるオノマトペぐらいとしか受け止めてこなかったことに忸怩(じくじ)たる思いを禁じ得ないのである。

 たとえば、大江健三郎の『M/Tと森のフシギの物語』の冒頭での一節。「とんとある話。あったか無かったかは知らねども、むかしのことなればなかった事もあったにして聞かねばならぬ。よいか?(中略)うん!という僕の返事にこたえて、いったん祖母が話しはじめる」云々(うんぬん)。この語り始めの文句は柳田国男の『昔話覚書』に所載の鹿児島県大隅肝属(きもつき)郡の事例のそのままの引用で、すでにこの短い文中にも「とんとある話」や「うん!という僕の返事」にしろ、口承文芸の大きな命題を含んでいることに今更気がついたのだ。

 前掲書のなかで柳田は全国の事例をあげ、「最初はやはり全然今と隔離した世界の出来事だということを、表示するための『とんと』であった」としており、語源の本質に迫ってはいない。さらに「うん」も単なる日常的な受け答えの言葉ではないことの重大さ。この点に関しては拙著『あどうがたり―若狭と越前の民俗世界』(福井新聞社刊)のなかで、菅江真澄の「かすむこまがた」の200年前の奥州胆沢(いさわ)郡(現岩手県)における昔話の形式を引いたことがある。国文学者の三谷栄一も昔話の「節が終わるごとに『はーとーと』とか『おーとーと』という『とーと』というのは「昔話の一区切りごとに『とんとん』という相槌(あいづち)」が求められ、「語りごとがいかに神聖であったか」と指摘しているのを、うっかり失念していたのだった。

 美浜町の耳川流域で昔話の語りの場で必ず「おっとー」の相槌が求められたことも、再々触れたが、実はこれらの発端句の「とんと」や「とんとん」、相槌の「はーとーと」「おーとーと」はいずれも「尊い」の転訛(てんか)、つまり音便変化であることがようやく判明し、今月末に刊行される『若狭あどうがたり集成』(若狭路文化研究所刊)の「編集ノート『尊い昔』とは何か」で論述したので、関心のある方はぜひご一読願いたい。

 本土における発端句や相槌が、琉球語に残存し継承されていることは、琉球王朝の内裏語を収載した『混効験集』や各地の方言集、民俗誌に語例がいくつも掲載されている。たとえば、石垣市川平の来訪神マユンガナシの神口(かんふち)(祈願詞、祝詞)に「ウートオード」(祈り願う)が冒頭で唱えられる。他にも「アートードゥ」などの多様な類語がみられ、いずれも「感謝、畏敬の念をあらわす語。ああ尊」を意味するとある。ただし、石垣をフィールドとする澤井真代さんによると、沖縄の聖地御嶽(うたき)ではこの祈願詞は唱えられず、もしかすると中世以降の語彙(ごい)なのかもしれない。これらの用語は壱岐や大隅の方言に跡を留(とど)め、『呉竹集』や『詞林三知抄』などの古文献に原義が求められる。すなわち「安尊(あなたふと)」が語源である。本土から九州を経て琉球の古語が派生したとすれば、いわゆる「沖縄起源論争」の主要な論点がここにある。

 さて、ならば「尊い昔」とは何か。昔話の多くは子どもへの教訓を含んでいるが、倫理が行き届いた古代世界への憧憬(しょうけい)や理想を、国学者の本居宣長は「言霊の幸はふ国」の「皇国」に求めた。人は何故(なぜ)かヘレニズムのギリシャや古代中国の孔孟(こうもう)の教えに未来の範型を夢想する。昔話は必ずしも神話の残闕(ざんけつ)ではないものの、庶民は祖父母から孫子への隔世伝承を通して、いにしえの模範的な生活を望んだと言えるだろう。敬虔(けいけん)な語りの場の「あどうがたり」の再認識を通して、パンデミックと戦乱の続く現代の混迷を見直さねばならない。

⇒エッセー「時の風」福井新聞D刊に最新回

 【金田久璋(かねだ・ひさあき)】1943年福井県美浜町生まれ。敦賀高校卒業後、国家公務員になり、その間谷川健一氏に師事し民俗学を学ぶ。国立歴史民俗博物館、日本国際文化研究センター共同研究員、福井県文化財審議会委員を歴任。著書に「森の神々と民俗」「あどうがたり」、詩集に「言問いとことほぎ」「賜物」「理非知ラズ」など。