「ほやで~」「あの~」「ほやほや」と交わされる福井弁の温かさに、ほっとするひと時を求めて、県人会の会合に顔を出される方は多い。方言は一瞬にして他人との距離を縮めて緊張を解いてくれる。県人会ではどんなに隠しても、気のゆるみからかイントネーションやアクセントはごまかせず、たちまち福井県の出身者と分かるのも楽しい。

 県人会は、他都道府県または他国で、同県人同士が親睦をはかるため組織している会と定義づけられるだろう。確かに、他都道府県や他国に長く住むことになって、初めて「福井人」を意識することが多い。そんな時にたまたま県人会と巡り合えば、同会への参加を考えることになる。私もその一人だった。東京に出て20年ほどたった頃、ある人に誘われ、東京福井県人会の懇親会に参加したのが始まりだった。

 ところで、「福井県人会」は、現在、東京や大阪をはじめとして、京都、神戸、名古屋、静岡、北海道、石川(金沢)、滋賀、岐阜などで結成されている。更にブラジルをはじめ外国にも多数存在している。それぞれに歴史と活動内容に違いはあっても、郷土愛に支えられ親睦を主な目的とする点においては同様と思われる。

 東京福井県人会は、今年で、発足から124年となる。「福井会」(初代、今立裕氏)として発足した明治31(1898)年頃は、福井から大都会の東京に出て来て、頼る人も少なく、途方に暮れていた人も多かったに違いない。そんな人たちが集まり、活動を開始した。福井つながりでふるさとの話題に花を咲かせ、互いに助け合いながら仕事に生かす人も出てくる。ふるさと福井の発展に思いを馳(は)せていた姿が目に浮かぶ。

 発足時期は、奈良県、佐賀県に次いで、3番目に古いとされる。3県には、郷土愛では他府県に負けないものの、最新情報の入手、商売などでの連携でより結束が求められる状況にあったと考えられる。さらに福井県人は、浄土真宗を介して醸成された結合も他県人より強かったのではなかろうか。ちなみに石川県、富山県も明治末には発足している。

 東京福井県人会は、明治35年の福井大火には20両の義援金を贈り福井県を支援した。昭和6(1931)年、岡田啓介氏が第3代会長に就任。同9年に福井県人として初の総理大臣に選出されたときは、会員一同、大いに喜びお祝いが続いたと記録されている。その後、第11代会長の石田和外最高裁長官時代を経て一層盛会となり、現在は、越前松平家20代当主の松平宗紀氏が第14代会長として「日本一の県人会」の目標を掲げた。

 平成30(2018)年には、発足120周年を記念して、県人会独自のロゴマークを入れた「東京福井県人会旗」を作成、事業として東京湾クルーズ船を貸し切り、大懇親会のイベントを開催した(『東京福井県人会百二十年史』18年刊)。

 最近の活動は、春の総会・懇親会と秋の「福井祭り東京」の懇親会を中心に、ゴルフ会、旅行会などに加え、市町地域の郷土会や高校の同窓会などとの情報交換会「ふるさと会」を開催。地元の大災害時には義援金贈呈、福井県企業との情報交換会開催、県出身の学生支援などをおこなっている。また、若手を中心にネット活用での集まり「イエロー会」を県人会青年部として全面的に支え、活動の範囲を広めている。

 福井県が「幸福日本一」「日本一の恐竜王国」など多くの宝で呼ばれているのに負けないよう、今後とも「日本一」の誇れる県人会を目指して活動を続けていきたい。

【ふじた・みちお】1946年福井市生まれ。早稲田大政経学部卒。72年日本住宅公団(現UR都市再生機構)入社。全国のまちづくり、ニュータウン事業計画に参画。同公団総務部長、多摩NT事業本部長、都市センター会社社長を歴任。2012年から(公財)輔仁会理事長。21年東京福井県人会副会長に就任。