三峯城について紹介するパンフレットを製作した三峯城跡保存会のメンバー=福井県の鯖江市北中山公民館

 南北朝時代の南朝方の拠点の一つだった三峯城(みつみねじょう)の「縄張り図」などを紹介したパンフレット「三峯の歴史 伝説・浪漫」が、福井県鯖江市北中山地区の城跡保存会によって製作された。2004年の改訂版以来、17年ぶりの刷新。全国で城巡りを楽しむ人が増えている中、発信力を高めて地域活性化につなげていく。

⇒福井県内の城を学び楽しむ「ふくい城巡り」

 三峯城は、標高約405メートルの城山(しろやま)山頂にあった。山頂は金谷(かなだに)、西袋(にしぶくろ)、上戸口(かみとのくち)へつながる三つの尾根が合流する地点で、三峯の名前の由来になったといわれる。

 鎌倉末期から南北朝中期までの争乱を描いた太平記によると、三峯城は室町幕府が開かれる前年の1337年、勝山・平泉寺の僧兵たちが南朝方に寝返ったときに築城。新田義貞は弟の脇屋義助を派遣し南朝方の攻勢拠点としたが、3年後に北朝方に攻め落とされた。

 パンフレットには、こうした歴史とともに、城の設計を図解した「縄張り図」を掲載。土塁や堀、石垣などで囲った主郭が南北に並ぶ連郭式山城だったことが一目で分かり、斜面を利用して敵の侵入を困難にしていたことがうかがえる。

 また、城の北西約800メートルにあった三峯寺や三峯村も紹介。1937年に廃村となった三峯村は、養老年間(717~724年)にできたとの新説も盛り込んだ。ほかに「三峯の大イチョウ」や、旧三峯村の人たちが生活の糧としていたアブラギリなども載せ、地域色豊かに仕上げている。

 三峯城跡保存会の伊藤文隆会長(63)は「三峯城は一乗谷や坂井市三国町方面も一望できる地元の宝。PRに努め地域活性化につなげたい」と話している。

 保存会は1991年に発足し現在、城のお膝元に当たる上戸口町住民を中心に北中山地区の27人が所属している。今後、御朱印の城版「御城印」の制作も予定しているという。

 パンフレットは6ページ。1500部作った。北中山公民館ホームページで閲覧できる。問い合わせは同公民館=電話0778(65)1001。