福井測候所(奥)の芝生で太陽の方向を確認しながら日射量の観測を行う田中剛さん=1940年、現在の福井県福井市の旭小学校周辺(田中さん提供)

 80年前、福井駅の改札口や百貨店「だるま屋」のショーウインドーなどに毎日張り出されていた天気予報が、ある日を境に消えた。1941(昭和16)年12月8日。太平洋戦争開戦により、航空機の飛行や爆弾投下、輸送などに大きな影響を与える気象情報は直ちに重要な軍事機密となった。

 元福井地方気象台職員の田中剛さん(98)=福井県福井市=は開戦の前年に同気象台の前身の福井測候所に入り、敷地の芝生や屋上で毎日観測業務に当たっていた。戦争が始まったのは18歳の時。旧日本軍による真珠湾攻撃とともに天気予報に関する一切の報道が禁じられ、仕事の内容も大きく変わった。⇒戦前のだるま屋ショーウインドー

 測候所で観測した気圧や風向風力などの数値を中央気象台(現気象庁)に電報で送る際は、漏えい防止のため必ず暗号化するようになった。本来、人々の生活のために使われる観測データは伏せられ、ひそかに中央にのみ伝達する日々が続いた。田中さんは「戦争で命令されていたし、これが仕事だとしか思っていなかった。今思えば異常な体制だが、敵国の爆撃から日本国民を守るためには仕方がないことでもあった」と振り返る。

⇒中央気象台長に命ず「直チニ全国気象報道管制ヲ実施スベシ」

【真珠湾攻撃】旧日本軍が1941年12月8日(現地時間7日)、米ハワイ・オアフ島の真珠湾の米軍基地や艦隊を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった。米側は約2400人が死亡し、戦艦アリゾナなどが沈没した。日本側は航空機29機などを失い、約60人が死亡したとされる。攻撃後、米国は日本に宣戦布告し、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を掛け声に反撃した。