波多野城跡

永平寺じょやま会

永平寺町花谷

 越前波多野城は、志比の庄に地頭として土着した波多野義重が築いた。城のある城山(しろやま)=標高474メートル=を、ふもとの福井県永平寺町花谷地区の人たちは「じょやま」と呼び親しむ。山頂部と尾根上の城跡は、郭や堀切、土橋、土塁など遺構の保存状態が非常によいのが特徴という。

 地元保存会の「永平寺じょやま会」が整備してきた新登山道「越前波多野城こもれびBASHADO」は今夏に完成。波多野城まで馬車で物資を運んだ「馬車道」と見られる部分など全長約5キロ。アップダウンがあり、酒井秀和会長は「体力作りにもってこい」とする一方で「途中に馬洗場なども残っており、この急な山道を当時、実際に馬が通った歴史を感じてもらえます」と語る。

 先日、専門家を招いて案内した際は、現在波多野古墳群とされている一帯にも山城があった可能性があると指摘されたという。山全体が山城だったことにもなり「整備と保全の両面で取り組まなければ」と話す。

 波多野義重の歴史上、大きな功績の一つは、永平寺の開祖道元禅師を越前に招いたこと。道元禅師がまだ京都の建仁寺にいたころに帰依し、外護者となった。花谷地区の山の反対側は荒谷という地名の急斜面だが「道元禅師が通っていった可能性があるので道も整備できたら」という。

⇒福井県内の城を学び楽しむ「ふくい城巡り」 

越前波多野城(えちぜんはたのじょう)

 承久の変(1221年)後、越前志比荘の地頭となった波多野義重が築城。室町後期に朝倉氏9代貞景(さだかげ)の五男道郷(みちさと)が波多野の家督を継ぐなど、朝倉氏と緊密な関係にあり、城は一乗谷城の支城としての役割を担ったとされる。

永平寺じょやま会

 2015年に花谷じょやま会として発足。登山道の階段補修や、地元志比小学校児童のふるさと学習への協力などの活動を続ける。会員約50人。

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 全国的に人気が高まっている城めぐり。福井県内の山城(城)を保存会の話などから紹介する。