六呂師演習場の敷地だったことを示す「陸軍省」と刻まれた石柱を確認する中野栄さん。裏には「境界」と記されている=7月29日、福井県大野市南六呂師

 福井県大野市の六呂師高原一帯は、1940(昭和15)年まで同県鯖江市にあった陸軍歩兵第三十六連隊の演習場だった。終戦前には米兵ら捕虜の収容所としても使われた。現在その歴史を知る人は少ないが、「戦争を反省する教材として、戦争遺跡を風化させてはならない」と痕跡を探す男性がいる。一帯を歩き、「陸軍省」と刻まれた敷地境界を示す石柱20本や連隊の建物2棟を確認した。

 男性は元高校教員で勝山市中央遺族会前副会長、中野栄さん(78)。父は三十六連隊に所属し日中戦争から帰国した後、再度招集され43年にフィリピンで戦死した。享年24歳で、中野さんと一度も顔を合わせることなく亡くなった。

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 同連隊には福井県嶺北の若者らが所属し、六呂師高原の演習場で射撃や突撃などを訓練した。中野さんの父も訓練に参加していたとみられる。2年ほど前、中野さんは演習場の敷地の境界に、住民が立ち入らないようにするための石柱が立っていることを知った。それ以降、大野市南六呂師の住民や県奥越高原牧場の職員らに話を聞いて探し歩くようになり、表に「陸軍省」、裏に「境界」と刻まれた高さ50センチほど、18センチ四方の石柱を大野、勝山両市で次々発見。今夏も田畑や庭先、牧場で見つけた。土や草に埋もれた石柱はまだ多数あるとみられる。

 当時の写真から、演習場には兵舎や浴場炊事舎、医務室など建物が15棟以上あったことが分かっている。中野さんは兵士らがだんらんする「酒保(しゅほ)」と、馬小屋の木造平屋計2棟が南六呂師の集落内に現存することを確認した。

 中野さんによると演習場のエリアは元々、周辺集落の入会地で、住民がまきや食料など山の恵みを得る大切な場所だった。「住民たちは提供せざるを得なかった。石柱は陸軍優先となった集落があった証だ。戦争の犠牲者を二度と出さないという決意のためにも、保存すべき貴重な遺産だと思う」と指摘する。

 これまで高浜町に残る要塞「吉坂堡塁(きちさかほるい)」や、坂井市三国町池上の陸軍三国飛行場(滑走路1800メートルが2本)、越前市余田町―鯖江市下野田町の愛宕海軍航空基地(同800メートル)があった場所なども痕跡を探そうと訪ねてきた。中野さんは訴える。「たとえ小さな石柱1本でも、遺跡は見た人に平和について考えさせる。戦死した兵士の痛みを感じる人たちがいる。風化させてはならない」