沖縄県宜野湾市の市街地に隣接した米軍普天間飛行場=2021年3月

 日本の防衛・安全保障体制はどうあるべきか。若泉敬さんは、著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を世に問うことで、国民的な議論が巻き起こることを期待していました。しかし、そうはなりませんでした。

 それは非常に失望していました。ならば、外国人の心ある人々には理解されるのではないかと。それで英訳本を出すことになったのです。

 1996年7月27日、鯖江市のご自宅で英訳本出版の契約をしました。私は翻訳者の一人でケンブリッジ大の先生を連れて行きました。若泉さんが直接お礼を言いたいと希望したのです。

 病魔に侵されていた若泉さんは、ベッドに横たわったまま点滴していました。いざ、お礼を言う時になると起き上がって机で向かい合い、往年のように背筋をぴんと伸ばしてあいさつしました。ほっとして東京の自宅に戻ったら、私たちが離れて1時間後に亡くなったと聞きました。自裁されたということを知らされたのは10年以上たった後のことでした。

⇒【連載】若泉敬氏と沖縄~谷内正太郎氏語る

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 この2カ月前、若泉さんと伊勢神宮を参拝しました。その後、私は東京行きの新幹線を待っていました。若泉さんはホームまで見送ってくださり、ドアが閉まる前に生真面目な顔で手を合わせて「日本を頼む」と言われたのです。一介の役人がどうしたらいいのか分からず、ただ頭を下げていました。若泉さんが後世に伝えたかった「志」とは何だったのでしょう。

 国家の究極的な存在理由は安全保障にあります。若泉さんは国民の生命と財産を守るには性善説を前提にしては駄目との考えでした。我が国が侵略したり、違法な武力行使をしたりしなければ、日本を攻める国があるはずはないと考えることは現実的ではない。最悪の事態も想定して、抑止力を含め備えはしないといけない。それが国家すなわち政府の国民に対する責任です。

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 若泉さんが最期まで心を寄せた沖縄には今も、在日米軍専用施設の7割が集中しています。沖縄の負担を軽減するため、歴代政府が努力してきたのは間違いない。しかし残念ながら、「在日米軍の駐留は必要だ。でも我々の地元は困る」という「総論賛成、各論反対」になっているのが現状です。国民全体の責任と言えます。

 地政学上の問題もあります。若泉さんが尽力した沖縄返還交渉当時は東西冷戦下でベトナム戦争のさなかでした。時代は変わり、新たな問題が生じています。米中や米ロ、そして日中韓の関係は決して良好とは言えず、北朝鮮は核開発を一方的に進めています。安全保障の観点に立つと、沖縄は地政学的にとても重要な意味を持ち続けています。

 ではどうすべきか。軍事技術は日々進化しているので、防衛力の構成を考えていく必要があります。陸海空の能力の向上に加えて、サイバーやAI(人工知能)の能力をもっと高め、宇宙を活用することで沖縄の人的、地理的な負担を軽減できる可能性がある。沖縄の痛みに真剣に向き合いながら、新時代の防衛・安全保障体制を築く方策を、国民的な議論で探っていくことが重要です。

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 福井県出身の国際政治学者、若泉敬氏が亡くなって7月27日で25年。親交のあった元外務事務次官で、初代の国家安全保障局長を務めた谷内正太郎氏(富士通フューチャースタディーズ・センター理事長)に話を聞いた。

 ◇谷内正太郎氏(やち・しょうたろう) 1944年、石川県金沢市生まれ。東京大学法学部卒。東京大学大学院修士課程修了後、外務省に入省。総合外交政策局長などを経て外務事務次官。第2次安倍晋三政権で国家安全保障局の初代局長を務めた。2020年4月から富士通フューチャースタディーズ・センター理事長。77歳。

 ◇若泉敬氏(わかいずみ・けい) 1930年、福井県旧今立郡服間村(現越前市)生まれ。東京大学法学部卒。京都産業大学教授などを歴任。80年に東京から福井県鯖江市に転居した。94年、著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で、沖縄返還交渉の「密使」として密約に関与したことを明かした。96年7月27日死去。享年66歳。