同郷の長部日出雄から「太宰治ほど噓(うそ)つきはいない」と言われていても、そこは「見ると聞くでは大違い」ってこともざらにないではない。『人間失格』『斜陽』で知られる世界的な文学者の命日は「桜桃忌」と呼ばれ、出身地の青森県五所川原市金木町でも毎年6月19日に顕彰事業が開催されてきた。すっかり失念していたのだが、その亡魂に導かれるように3日間の奥津軽の旅に出た。むろん、5月中に2度のワクチン接種を無事終え、主催者として全国地名研究者大会、かわさき市民アカデミー講座を関係各位の多大なご尽力を得て何とか乗り切り、一息入れての旅立ちである。

 太宰治の初期の名作「魚服記」論の執筆に向けて、物語の発端に語られた作家の生地、金木町の地理と風土を探索する目的で、すでに5年前にも妻と共に名作『津軽』の風土をざっと見て回ったことがある。とりわけ、子守を務めた越野タケの嫁ぎ先の小泊では小説『津軽』の像記念館の見学のあと、タケが案内したという竜神宮まで足を延ばした。巻末には感動的な再会が描かれているが、実際はひと言ふたこと言葉を交わしただけでぎこちなかったとされている。いかにも口が重い東北人らしいが、時と場所を得れば艶笑譚(えんしょうたん)は事欠かない。

 「魚服記」は太宰の第1作品集『晩年』(砂子屋書房、1936年)に収載された短編で、わずか18枚の習作ながら、実に神話的かつ寓喩(ぐうゆ)性に優れ話題性に富んでいる。これまで多くの評論が世に出ているのはその証しである。あらすじをかいつまんで述べると、人里離れた山中で炭焼きを生業(なりわい)とするよそ者の父娘がいて、親が山仕事をしている間、娘は滝の傍らで遊山の物見客を相手に小さな茶店を出しているが一向に売れる気配はない。小雪が降りかかるころ、父親は里へ炭を売りに行き、酒の勢いにかられ小屋で眠っていた娘を犯してしまう(わずか3行しか書かれてないが、紛れもなく近親相姦(そうかん)を暗示している)。娘は滝に飛び込んで小さな鮒(ふな)になり滝壺(たきつぼ)の底へのみ込まれていく。単純な物語の伏線として、植物採集の学生の事故死、義経伝説や大蛇になる八郎、三郎の昔話などが配されているが、現在の喫緊の問題に引き付けて言えば、近年県内でも起きた肉親による性暴力(インセスト・タブー)とフランツ・カフカに通じる変身願望、再々の入水を想起させる水への親和性、幼児期における母性の不在などが指摘できよう。 

 地元の郷土史家の荒関勝康さんの教示では、まず津軽藩の林政上盗伐は禁じられていたし、よそ者の入り込む余地はない。短編の舞台となった馬禿山(まはげやま)の位置の確認と、金木町の名瀑(ばく)藤の滝と鹿の子滝も、「公開講演・奥津軽」の主催者の角田周さんの案内を頂き一巡した。ほとんどは虚構であり、「かれは、人を喜ばせるのが好きであった!」(『正義と微笑』)との豊饒(ほうじょう)な「御託(ごたく)話」(虚言)のサービス精神は、やはり厳寒の雪深い辺境の風土に培われてきたものにほかならない。まさしく「烏滸(おこ)(愚かなこと)の文学」である。柳田国男の『山の人生』の「山に埋もれたる人生ある事」の二つの一家心中事件から材をとっていることも、すでに指摘されてきた。

 手籠(てご)めにあって一旦(いったん)鮒になった娘が、滝壺に飲み込まれて再度死を目指したのはなぜか。そのヒントは、山本潤『13歳、「私」をなくした私-性暴力と生きることのリアル』(朝日文庫)の最終章の「湖の底」が見事に暗示しているように、わたしには思われた。一方、アナイス・ニン『インセスト』(彩流社)は父親との性愛を赤裸々に「日記」に綴(つづ)っている。インセスト・タブーの深層は神話や人類史にまでさかのぼる深遠な命題である。

⇒エッセー「時の風」一覧

 【かねだ・ひさあき】1943年美浜町生まれ。敦賀高卒業後、国家公務員になり、その間谷川健一氏に師事し民俗学を学ぶ。国立歴史民俗博物館、日本国際文化研究センター共同研究員、福井県文化財審議会委員を歴任。著書に「森の神々と民俗」「あどうがたり」、詩集に「言問いとことほぎ」「賜物」「理非知ラズ」など。