◆ツバメといえど 親は強し


 サラナ親子教室の外玄関のツバメの巣に卵を産んだのでしょうか、2羽のツバメが交代で、ひっきりなしに飛んできて、巣に長く留まっているようになりました。


 外玄関の巣は、床からあまり高くないところに掛けられているので、カラスや猫の襲撃を恐れてか、それまでは、内玄関の電灯の笠に作られている巣で雛をかえしたかったようです。それで、しきりに家の中に入ってきていたようでしたが、さすがにあきらめたようです。外の玄関に掛けられている巣で雛をかえそうとしているようです。

 ところが、ちち(・・)ち(・)ち(・)ち(・)ち(・)ちち(・・)と異常なツバメの鳴き声がしたので、外に出てみると、カラスが、あの小さなツバメにしきりに追われているのです。ツバメたちによって今にも小突かれるのではないかと思えるくらいのカラスの頭すれすれの低空飛行で威嚇されながらです。

 加勢に来たのでしょうか、3羽のツバメに追われているのです。

 ツバメよりずっと体の大きなカラスは、突然の低空飛行の襲撃を受け、いつものように、’おれ、何か悪いことをした? なぜ、突然襲われなきゃならないのだ?’  ’これ以上、巣の近くに寄らないで ‼ 近くにいるだけでも、気が気でないのよ’  ’わかった、わかったよ、仕方がないなあー’と、意味も分からず間抜けな様子で仕方なしにその場を追われて離れようとしているツバメとからすのやり取りが聞こえてきそうな光景に思わず笑ってしまいそうです。ツバメにとっては必死ですから、決して笑ったりはしてはいけないのですが。

 小さなツバメといえどもさすが親は強しです。今年は、早くに飛来してきておりながらも、雛を孵す巣が決まるまで少し時間がかかったのでしょう。昨年は六月終わりには、雛たちが巣立っていったように思うのですが・・・。

 このぶんだと、雛が孵るのはいつもよりかなり遅くなりそうです。未だ雛の鳴き声はしないようでしたが・・・。 聞こえました。聞こえました。雛の小さな鳴き声が。どうやら雛がかえっているようです。餌を運ぶ親鳥がやってくると、伸び上がって、くちばしを全開して餌をねだっている姿もチラリと見えてきました。そして雛たちのあのぽたぽた糞も落ちてき始めたのです。親ツバメたちにとっては、雛たちが巣立つまでの間は、片時も気が休まることはないようです。

 私たちも、ツバメが巣に戻ってきている間はできるだけ刺激しないように、その玄関からの出入りはなるべく避けるようにはしているのです。

 膨らスズメのように膨らんだヒナたちの姿が並んで見られようになるのも間もなくのことでしょう。

◆「蚕」とは天の虫と書くのです

 5月からだったと思うのですが、福井市の足谷町で蚕の飼育の見学と、そこでできた繭を使っての織りについての話を聞く会が何回かにわたって行われました。趣旨は、伝統的な織りの産業を後世に残したいという主宰者の思いのようでした。

 会場は、足谷町の県内唯一となってしまった、養蚕農家である杉本さんの蚕の飼育場です。そして、そこでできた繭を使って織をされておられる嘉村さんのお話とのコラボレーションだというのです。

 いずみ保育園では、子どもたちが、ここ何十年かに渡ってその養蚕農家、杉本さんから分けていただいて毎年蚕を飼ってきておりますので、その会に参加を希望する職員も何名か参加させていただいたというのです。

 そして、娘から、お母さんの分も申し込んであるから一緒に行かないかという、娘からの誘いなのでした。

 日頃出かけることには、とても億劫になっておりますし、蚕に関しては、いまさら私が出かけていくことでもないというおもいでもありましたので、行きたいとも行こうとも思っていなかったのです。

 しかし、娘からは、何度かの確認メールが入るので、これはよほど一緒に行った方がよいということではないかとも思えたのです。

 話を聞くと、杉本さんが、なぜ保育園で蚕を飼うようになったのかなど、そのいきさつを知りたがっているというのです。そのいきさつについては、お母さんしか知らないので、よかったら一緒に行かないかということのようです。

 杉本さんのところねぇ・・・。 もう何年前になるのでしょう。確かに何年前になるのかは定かではないのですが、以前に私も杉本さんの飼育場を訪ねて飼っているたくさんの蚕を見せていただいてお話したことはきちんと記憶しているのです。蚕を分けていただくようにお願いに行ったのか、ほかに用事があって伺ったのかはわからないのですが。

 そして行くまでの道のりも、おぼろげには記憶しているのです。が、体調的にも、気力的にも、行こうという思いにはなかなかならないのです。しかし、最終的には、では行って見るかという思いになり、娘に連絡しました。


 娘の車に同乗していくか、後についていくかも、迷いました。それほど遠い所だったようには思えなかったからでした。結局、お寺の駐車場まで行って、そこで、ようやく自分の車でついていくことに決断がついたのです。


 しかし、足谷町までの道のりの長かったこと。長かったこと。こんなに遠かったのだろうか。車を運転しながら何度も何度も思いました。そしてまた、その道中の登り道の急なこと、急なこと。今にも車が逆に下っていってしまうのではないかとさえ思えたほどでした。
今も昔も、その道程には変わりはないと思うのですが、若かった頃には、多少遠くても、たとえ、急な登りが続く道であっても、遠いとか、急だとかは感じない力があったのでしょうか。遠いとか、急だったとかは全く記憶していないのですから。