【ゆるパブ】田舎の集落の「しがらみ」嫌いなはずが…子どもの頃とは違う感覚

古くからの集落のイメージとはどんなものだろうか。私は「保守的」「監視的」「面倒」「しがらみが多そう」といったネガティブなものが多かった。実際福井市に住みながらもそれらを感じていたので、地域との関わりに良い感情はあまりなかった。しかし、実際に山あいの集落にすんでみると、そんなに悪くない。この意識の違いはなんだろう。

子どものころから嫌で仕方なかった地域のしがらみ

私が小学生の頃から、祖母は町内の同世代の女性たちと噂話や派閥争いのようなことを繰り返していた。高校生くらいになった頃には狭い世界であーだこーだと言い合っている祖母たちが滑稽で「なんて狭い世界で生きているんだろう」と思っていた。祖母は地域の目もとても気にする人で、私は夜帰ってくるのが遅いことなどでよく祖母と喧嘩をした。

私を心配してのこともあったのだと思うのだが、その頃の私はただただ、祖母が注意してくることがうっとうしかった。ふと私が「私が何かの事件に巻き込まれたらどうする?」と聞いてみた。祖母の第一声は「恥ずかしい」だった。この時に「ああ、この人とは分かり合えないんだな」と諦めたような気持ちになったことを覚えている。

地域おこし協力隊となって

そんなふうに「地域の目」や「しがらみ」を常々うっとうしく思っており、狭い世界しか知らない祖母を嫌い、外に出たいと思い続けていたが、私は今、実家のある場所よりもさらに山奥にすんでいる。そこに住み始めて、地域の目やしがらみを面倒に思うかと言えば、そんなに気にならない。夜に電気がつく部屋で私が使っている部屋を言い当てられた時はビックリしたが、そのおばあちゃんは集落の端の家で、私が住んでいる家に電気がともるだけで「明るい気持ちになる」と言ってくれた。そこに不快感は感じないし、存在を喜んでくれることが嬉しかった。生まれ育った地でなく、関係が薄いというだけでこんなにも楽になるのかと驚いた。

ある時には、私が庭の草むしりをできないまま放置していたところ、帰宅したら近所のおばあちゃんたちが草むしりをしてくれているところに遭遇したこともあった。有り難いやら申し訳ないやらで感謝を伝えまくったが、私もおばあちゃんたちが出来ないことに対して助けてあげられるようにすることで、お互いが助け合えるカタチができるのだな、と感じた。例えば、作っていない作物を交換しあったり、なにかデジタルなことで困っていたら私が分かる範囲では助けてあげられたり。今すぐに何ができるのかは分からないが、最近はお菓子を焼いたらお裾分けするようになった。自分たちでは作らない料理に驚き喜んでくれる姿を見ると、そうやって出来上がっていく関係は、私が子供のころ感じていた地域の「しがらみ」とはちょっと違うように思った。

「つながり」は自分から作っていくもの

日々のやり取りがあるからこそ、ちょっとした変化にも気付きやすい。困っている人がいないか、体の調子が悪くなっていないか。あれこれチェックされるのは面倒だと思われるかもしれないが、昔からそうやって異変を察知することがお互いのセーフティーネットとなってきたのだと思う。

「しがらみ」は見方を変えれば「つながり」であり、誰かを助けたりすることもあるのだと思う。私は、自分が関与できないところで出来上がっている関係性が「しがらみ」と感じ、自分で主体的に作っていた関係性が「つながり」と感じるのではないかと思う。状況によって変わってくるかもしれないが、自分自身もある程度覚悟して自分から関わりに行った場合、地域の中での暮らしも悪くないのかもしれない。(宇野朱美)

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この記事は、ゆるパブと福井新聞社が開いた「コラムニスト養成講座」参加者が執筆したコラムです。コラムに対するみなさんのコメントや「私もコラムを書きたい」という声はFacebookで受け付けています。

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【ゆるパブコラム】福井の若者や学生、公務員、起業家、経営者、研究者などがゆるくつながり活動する一般社団法人ゆるパブリック(略称:ゆるパブ、2015年福井に設立)が、さまざまな視点から福井のまちの「パブリック」に迫ります。ゆるパブメンバーを中心に執筆中。