6月の第3日曜日は「父の日」で、今年は今日がその日にあたる。子どもの頃、「母の日」にカーネーションをプレゼントした覚えはあるが、「父の日」になにかをした記憶がとんとない。

 「父の日」は1910年頃、アメリカで「母の日」のように父に感謝する日を設けることが提唱され認知されていった。アメリカで祝日として定められたのは72年のことだ。日本に広まったのはそれ以降で、当初、父親の似顔絵を贈ったり、ファッション業界が主導しネクタイなどをプレゼントする日となったりして、徐々に広まっていったようだ。

 そもそも、万葉集の時代から、「父」を詠(うた)った歌は「母」に比べれば圧倒的に少ない。妻のもとに通う「通い婚」が行われていたので、子は母の手で育てられることが多かった。紫式部が父親の藤原為時にともない、越前国の国府にやってきたのは幼い頃に母を亡くしたという事情があったからだろう。

 今では、『俳句歳時記』などでも夏の季語として「父の日」が載っているが、「母の日」と比べどこか自嘲(じちょう)的な例句が並ぶ。

 私の父は家事を一切しなかったし、毎日見る父親は、背広を着て出勤していく姿と、同僚と呑(の)んでご機嫌で帰ってくる姿くらいだった。母親よりも一緒に過ごす時間が短く、外でどのように働いていたのかも分からないままだ。

 しかし、文豪の子どもたちは、自宅で作品に向き合う父親と日常をともに過ごしている。

 例えば、森鷗外に溺愛され育った長女森茉莉は、鷗外が茶漬けに饅頭(まんじゅう)をのせて食すほど甘党だったことや、ドイツで衛生学を学んだこともあり極度の潔癖症であったことを懐かしんでいる。次女の杏奴(あんぬ)も、母に叱られて書斎に行くと、父鷗外が膝に抱き上げ、涙を拭き、鼻をかんでくれていたと語っている。厳格なイメージのある森鷗外の意外な一面だ。

 幸田露伴から熾烈(しれつ)な教育を受け育った作家幸田文、太宰治と同じ無頼派の作家檀一雄を父に持つ女優檀ふみさん、阿川弘之を父に持つエッセイストの阿川佐和子さんなど、子が作家という職業を持つ父親を語ったエッセーは多彩だ。

 作家は評論家や別の作家など他者から語られることも多いが、その中でも子が親を描いたものには、全く別の風景が垣間見える。

 『源氏物語』の現代語訳に取り組み文化勲章を受章した作家の円地文子の父親は、東京帝国大学の文学部長を務めた上田万年(かずとし)だ。書斎の上田は、「細かい調査などこつこつ進めてゆくという風ではなく、一つの課題について眼を閉じて考えていることの方が多かった」と、円地は回想している。

 円地はそんな父親の様子から、学生への講義は「知識を授けることより、それを息吹き入れることにあった」と感じ取っていたようだ。実際、上田は橋本進吉(敦賀出身)や金田一京助など先駆的な言語学者を育てている。円地は父と過ごした時間から、父親の精神の深いところまでも感じとったのだろう。

 このコロナ禍で、在宅勤務が推奨され、作家でなくても、自宅で仕事をする機会が多くなった。書棚と机がある場所ではなく、自宅ではパソコンやスマートフォンが使える場所が仕事場となっている。リモート会議では、自宅の書斎のような場所から中継しなくても、背景だけ片付いた部屋や、南の島に変えることだってできる。

 書斎で仕事をしていた作家たちと同じように、現代人は父と子が時間と場所を共有できる状況にある。家で仕事をする親の姿を目にする機会が増え、これからの「父の日」や「母の日」は、今までと違ったものになっていくかもしれない。

⇒エッセー「時の風」一覧

 【いわた・ようこ】1979年生まれ 奈良県平群(へぐり)町出身。関西大大学院文学研究科にて博士(文学)取得。専門は日本近現代文学。2013年、福井県教育庁生涯学習・文化財課文学館開設準備グループに配属。15年より現職。