学生時代、中国新疆ウイグル自治区ホータンにおいて、桑の木を素材にした手漉(てす)きの紙を手にしたことがある。その旅は、シルクロードの史蹟(しせき)をめぐる、現地フィールドワークの講義の一環で、北京からウルムチへ飛行機で移動し、ウルムチからクチャ、ニヤ、ホータン、そして西の果てカシュガルまでの『大唐西域記』に登場するかつてのオアシス都市に寄りながら、タクラマカン砂漠をバスで縦断するものだった。生まれて初めての砂漠は、あまりにも大きく果てしないため、ああ本当に、これは道に迷えば戻ってこられない場所だなと、唐代に、玄奘三蔵が仏典をもとめインドへ旅した行程を考えると、途方もないなあと感じていた。

 そして一面砂色の、礫(れき)ばかりの乾燥した大地で生み出される「紙」があることに、驚いた。ホータンは日本のように豊かな水、湿度、緑のある土地と対極にある。桑で作られた紙は、すこしザラつきがあり、色合いはくすんだ半紙に似ていた。また雨がほとんど降らない乾燥地帯であるため、工房は土間を使っている。水がとても貴重な地域なので、ふんだんにきれいな水が流れる日本は、ほんとうに恵まれているのだなと思う。

 初めて目にするオアシスの路地に売られるスイカやナン、女性がまとう色鮮やかなベール、屈託のない満面に笑みの子どもたち、見事な手さばきで羊を解体していく男性たち。日本にシルクロードを通って、仏教をはじめ多くの文化や技術が伝えられたことを思うと、ここは異国であるからこそ、なぜかとても愛(いと)おしくなった。今、さまざまなメディアで、新疆ウイグル自治区がニュースに取りあげられるにつれ、あの時の子どもたちは元気だろうかと気がかりである。

 大陸から日本に伝来した文物の中に、製紙の技法もあった。数多くある和紙の中でも、かつて「紙の王」と呼ばれ、越前産のものを最上とされる「鳥の子紙」は、今もその美しさを称(たた)えられている。私が初めて「鳥の子紙」という言葉を知ったのは、大学生の時に先生につれられて調査に伺った醍醐寺での古文書調査の折だった。調査項目の中で、料紙(古文書につかわれている紙)が何であるかをその時に判断しなくてはならない。楮(こうぞ)を使った楮紙か檀(だん)紙か、雁皮(がんぴ)を使った雁皮紙(斐(ひ)紙)、鳥の子紙か、間似合(まにあい)紙か、雲母(きら)引きされているか…。現在、マイクロスコープなどを使い、細かな内部構造まで解明する研究が進んでいるが、この時は、先生に教わりながら手触りと目で判断していた。料紙が作られた産地までは判断できなかったが、「鳥の子紙」は別格で、つるりとした肌触りに、虫喰(むしく)いの跡がまったくないことでそれと判(わか)る。古くから貴重な本や写経などに使われてきたという用途にも首肯できた。

 国の重要無形民俗文化財保持団体に認定されている「越前生漉(きずき)鳥の子紙保存会」は今年、その活動も5年目になる。先だって、福岡県久留米市で催された展示会に出品されていた、純白の、白雪のような生漉鳥の子紙を、他産地の職人さんたちが「こんな紙とても漉けん」と感嘆されていた。私は、今一つその理由がわからなかったが、原材料の雁皮はたいへん扱いにくく、美しい和紙を漉けるまでに、修練を重ねなければならないという。

 和紙の原材料から考えると、たくさんの人の手が支え携わっている。製作する人、伝える人、守る人、それを使う人、原材料を育てる人、製作の道具や道具を修理する人、運ぶ人など、無数の人の手が、そのモノのなかに宿っている。人の手が作りだすモノだからこそ、やさしくやわらかく、美しい。これからも、時を通じて培われてきたものを大切にしていきたい。

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 【いそべ・ひろこ】1975年生まれ。滋賀県大津市出身。京都精華大学人文学部人文学研究科修了。滋賀県栗東歴史民俗博物館学芸員、同県日野町町史編さん室、三重県亀山市市史編さん室などの嘱託職員を経て、鳥取県の鳥取市歴史博物館学芸員、2017年福井県越前市入庁。18年から同市文化課学芸員。