4月は新しいことが始まる予感で、不安と期待が入り交じる。

 中学校の時、入学式で聴いた合唱曲「大地讃頌(だいちさんしょう)」に感動しコーラス部への入部を決めた。校歌の歌詞を目で追いながら、胸を高鳴らせたことを覚えている。

 母校の校歌は大人になってもメロディーが流れだすと、歌詞が自然と口を衝(つ)いて出てくる。

 昨年、朝ドラ「エール」の主人公のモデルとなった古関裕而が旧福井医科大学の学歌を作曲し、福井県ゆかりの俳人伊藤柏翠が作詞したことが話題になった。しかし、それは珍しい例で、ほかの学校の校歌などに触れる機会はめったにない。

 校歌の作詞者は、作家、教育者、政治家などさまざまで、福井ゆかりの作家もまた、多くの校歌や唱歌の作詞を手掛けている。

 詩人三好達治は三国高校や大野高校、詩人広部英一が敦賀気比高校、作家中野重治は丸岡中学校、詩人則武三雄が大東中学校校歌を作詞している。大東中学校の校歌は3番が2行しかないというように、それぞれの校歌にこだわりがあり、思いが詰まっている。

 その中でも、群を抜いて多数の作詞を担当したのが小浜市出身の児童文学者で詩人の山本和夫である。山本は県内20校以上の校歌を作詞した。当館所蔵の楽譜を確認しただけでも、日本全国の校歌や唱歌など40作以上の作詞を手掛けている。

 特に合唱曲の定番として全国で親しまれる「親知らず子知らず」の作詞者が、山本和夫だと知った時は驚いた。

 作詞者を意識せずに歌っていて、後から、「あの歌詞を作ったのはあの人だったのか」と気づくということはよくある。歌が文学との出合いであることも多い。

 中学校のコーラス部に入部した時、先輩たちが合唱曲「朝のバス」を歌ってくれた。「朝のバス」は前年のNHK全国学校コンクールの課題曲で、その時は意識していなかったが、歌詞を担当したのは、福井県で中学、高校時代を過ごした歌人の俵万智さんだった。コンクールを目指し何百回と練習され洗練されたその歌は、憧れの歌だった。その歌を聴くと、今でも放課後の音楽室の情景が浮かんでくる。歌は思い出と強くつながっている。

 ちょうど90年前の1931年4月、福井では、だるま屋百貨店が少女歌劇(DSK)の第一期生として12人の少女を採用した。未知数の試みに、創業者も少女たちも期待以上に多くの不安も抱いていただろう。新しい歌や踊りを覚え、11月に初演を迎えた。

 今でも宝塚歌劇団(宝塚唱歌隊として13年設立)などは知られているが、だるま屋少女歌劇の設立も早く、百貨店での客寄せ興行が止められるまでの5年間、多くのファンを熱狂させた。

 そのうちの一人が、作家の津村節子さんだ。津村さんは幼い頃、母親に連れられ毎月のように観劇した。少女歌劇は「長い雪国の暮らしを華やかに彩った」とエッセーに綴(つづ)っている。

 82年に、だるま屋少女歌劇を題材にした舞台が蜷川幸雄の演出によって上演された。2019年には、谷崎由依さんが百貨店の少女歌劇団のお話係の女性を主人公にした小説「遠の眠りの」を出版している。実際にその歌や踊りを見たわけではない人たちが、現存するプログラムや写真などからその舞台に思いを巡らせている。だるま屋少女歌劇は今も人々を魅了してやまない。

 コロナ禍で、昨年は合唱コンクールなども中止された。声を出して歌う機会は減っているが、さまざまな形でたくさんの歌に出合い、その歌に思い出を刻んで欲しい。春は新しい歌に出合える季節だ。

⇒エッセー「時の風」一覧

 ■いわた・ようこ 1979年生まれ。奈良県平群(へぐり)町出身。関西大大学院文学研究科にて博士(文学)取得。専門は日本近現代文学。2013年、福井県教育庁生涯学習・文化財課文学館開設準備グループに配属。15年より現職。