身にせまる津波つぶさに告ぐる声みだれざるまゝをとめかへらず

 歌人岡野弘彦さん(文化功労者)が揮毫(きごう)した歌を日本近代文学館の展覧会で見た時、一瞬にしてニュースで目にした「あの日」の情景が浮かんだ。

 2011年3月11日、マグニチュード9・0の巨大地震が発生し、東日本の沿岸部を津波が襲った。宮城県南三陸町の防災対策庁舎では、職員の遠藤未希さんが防災無線で最後まで住民に避難を呼びかけ、津波にのまれ亡くなった。当時24歳だった。来月11日、東日本大震災発生から、10年を迎える。

 1995年、私が奈良にいた中学生の時に阪神淡路大震災が起きた。本棚が倒れた衝撃や、ガラスが割れる音、母親が私と妹を呼ぶ声、神戸市に住んでいた学校の先生が何週間たってもやってこなかったことなど、断片的で曖昧なことしかどうしても思い出せない。

 これまで日本はあまたの自然災害や感染症の脅威にさらされてきた。関東大震災(1923年)では、芥川龍之介や川端康成らの作家が被災し、その時の心の動きや情景を描いた文学作品をのこしている。

 福井もまた、多くの災害に見舞われてきた。豪雪や洪水、1948年6月28日には、福井地震が発生した。福井地震は、阪神淡路大震災が発生するまで、戦後最大規模の地震だった。地震の規模はマグニチュード7・1、死者・行方不明者3858人、福井空襲から立ち直りつつあった街が再び、壊滅的な打撃を受けた。

 当時、福井市の自宅が全壊した芥川賞作家多田裕計はその揺れを「此(こ)の世(よ)を引きずり込むような垂直性の衝撃」と表現している。

 あの日、坂井市の自宅が全壊した詩人中野鈴子は東京の兄、中野重治に「モノミナコワレ ヒトミナブ ジ」と電報を送った。中野はすぐに故郷に駆けつけ随筆「地震雑筆」を書いている。実際に被害にあった作家だけではなく、福井を離れていた作家が遠い所から故郷を思い作品を描いた。

 東日本大震災から10年、実際に被害にあった作家、被災地に思いをはせた作家、それぞれの作家がその思いを作品に込めてきた。

 当時仙台に居住していた俵万智さんは「3・11短歌集 あれから」、岩手県田野畑村に文学碑がある津村節子さんは「三陸の海」を発表している。

 岩手県釜石市で被災した俳人照井翠さんは、震災直後の混乱が少し落ち着いたころに「喪へばうしなふほどに降る雪よ」と詠んだ。照井さんは俳句を読み返すと、「すぐさまあの日が蘇(よみがえ)る。一気にすべてを思い出す」と語っている。

 かつて災害に対峙(たいじ)した記憶は月日とともに薄れていく。しかし、風化しつつある記憶や感情は文学作品に鮮明に刻まれている。

 柳美里さんは震災後に福島県の南相馬市に移住し、「JR上野駅公園口」で震災を描き、昨年、アメリカで最も権威がある文学賞の一つである全米図書賞(翻訳部門)に選ばれた。東日本大震災は文学に描き続けられている。

 福井地震が起きたあの日から、今年で73年がたとうとしている。福井地震を知らない世代も増えている。

 福井地震の後、哀(かな)しみや衝撃を書いた作品だけでなく、復興の活気や明るくたくましく生きる人々を描いたふるさと文学が生み出された。

 福井地震、東日本大震災が発生した「あの日」はもちろん、それぞれの人が大切な人を喪(うしな)った「あの日」や、喜びを感じた「あの日」を抱え日常を生きている。

 コロナ禍で、他人との物理的な距離が遠くなった今だからこそ、さまざまな人の「あの日」を鮮明に記憶する文学作品を味わい、心を密に感じてもらいたい。

⇒エッセー「時の風」一覧

 ■いわた・ようこ 1979年生まれ 奈良県平群(へぐり)町出身。関西大大学院文学研究科にて博士(文学)取得。専門は日本近現代文学。2013年、福井県教育庁生涯学習・文化財課文学館開設準備グループに配属。15年より現職。