県立大学の公舎で、ここ12~13年くらい、アフリカ農法と称して混作農園づくりにいそしんでいる。4~5の平たい大きな畝に、ナス、キュウリ、トマト、サツマイモ、カボチャ、シシトウ、ピーマン、ネギ、パセリ、レタス、ベビーリーフなどを植えている。一つの区画に単作ではなく、さまざまな作物を植える。これがアフリカから学んだアフリカ農法である。はじめ2、3年の試行錯誤の時期もあったが、今ではよく取れるようになった。

 はじめて混作に触れたのは、熱帯雨林下のザイール(現コンゴ民主共和国)の焼き畑の世界においてだった。多種類の作物を同時に植え付ける「混作」の世界の存在に驚いた。畑そのものが、低木の森林のように錯綜(さくそう)した姿がそこにある。現在ではサバンナの農牧民の世界も研究するようになったが、そこでは基本的に2種類の混作の世界に出会った。

 35年も前、私が出会ったアフリカの混作の世界は、農法としての「未開性」を示すものと語られていた。しかし今日では、この混作も生態学的視点から盛んにその効能が語られるようになってきた。害虫の大量発生を抑えられる混作知、成長によい共栄しあう2種以上の植物の組み合わせによって雑草を防ぐコンパニオンプランツ論なども展開する。熱帯では混作を基調として、カカオ林と農作物の混合のアグロフォレストリーの展開がみられる。何もしない農法で知られる福岡正信氏の自然農法は、アフリカの農業世界にまぎれもなく生きている。

 同じ小農世界とはいってもそこには他者を許容し、土地に縛られない、分散性と流動性を旨とする、リズミカルに生きる軽やかなもう一つの「農」の世界があった。そこにはものを分かち合う経済に生きる社会のあり方があり、そこに身を潜めると労働倫理にがんじがらめになったわれわれの「豊かさ」が根底から問われた。有機農業学会で話されていたことで興味深いことは、国内の農業を志願する若い人たちの中に、自然農法的な志向を持つ者が少なからずいることで、アフリカ農法につながっていく状況があるようだ。

 新型コロナ禍は、1年に1回は続けてきたアフリカへの渡航を不可能にしたが、アフリカのことは忘れないようにと、忙しい中でもアフリカ農法の実践だけは続けた。大学の授業は全て遠隔に切り替えられ大きく変わったが、わたしにとって生活の足元において、遊動して暮らしてきた伝統的なアフリカ的生活の意味を思いがけない形で考え直す機会にもなった。

 「3密」を避けるということがいわれるが、人類史の中で見るならば、人類は、その歴史のほとんどを小集団で、3密をさけながら分散して暮らしてきた。人類が感染症に苦しむようになったのは、定住革命をへて、文明という世界に乗り出して以降と考えてよい。その文明は近代以降、加速度的に集住を生み出し、今回のコロナ禍は、日本の中ではすでに東京・大阪・名古屋にみられるように大都市の病という様相を帯びている。コロナはワクチンなどで抑えられていくかもしれないが、肥大化していく都市化状況は、ますます感染症に脆弱(ぜいじゃく)な社会を生み出していくことになる。

 環境問題、感染症など生産力主義的近代文明全体が問われる様々な危機の中で、人類はこれからどこに向かうのだろうか。移動的な牧畜的要素もともなうアフリカの農村は、近代に乗り遅れ、近代社会にもっとも不適合を起こしている。しかしそれゆえにこそ、われわれが20世紀の文明の中で失った「何か」をその生活世界の中に宿しつづけているようにも思う。

 近代文明に一周遅れともいえるアフリカは、分散し流動する、分かち合いに満ちた暮らし方を温存してきたゆえに、共存・共生というような新しい文明の形を構想していくための最先端に躍り出る可能性があるかもしれないとふと思ったりする。

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 ■すぎむら・かずひこ 1958年高知県生まれ。京都大学文学部卒。京都大学大学院農学研究科修士・博士課程修了。農学博士。専門は文化人類学、農業経済、農村社会学。アフリカ農民の価値体系について研究。福井県立大学学術教養センター長。森のエネルギーフォーラム理事長。著書に「アフリカ農民の経済-組織原理の地域比較」。