自分の歩いているこの道は、何も間違っていない。すべてが、まるっと、大正解である。そんなふうに確信しながら、生きている者がどれほどいるだろうか。何かが違う、でもそれって何だろうかと、小さな疑問符を隠し持ちながら、でも時間や仕事や現実の大洪水が、その違和感のかけらを押し流していく。生きるとは、生活とはこういうものなのだと、自分をなだめながら今夜も部屋の明かりを消す。

 本書は、第一部と第二部から成る。第一部は、3人の幼子を育てる若い母親・由紀子の奮戦記である。夫と、その両親と共に、一生続けていきたいと思っていた縫製の仕事が途絶え、その夢が叶わなくなった。生活のために働きに出た彼女は、多忙のあまり、いくつもの小さなボタンのかけ違えをやり過ごす。それを夫と検分したいのだけれど、日付が変わっても夫が帰ってこない。朝が来る。慌ただしい1日が始まる。かけ違えたボタンが、溜まりに溜まってゆく。――きっと多くの者が、身に覚えのある光景だろう。

 ただし本書は、そういう経験のある者同士で「あるあるー」とか「わかるわかるー」を分かち合うための一冊ではない。第二部は、そんなふうにして育てられた由紀子の長男・智晴が主人公だ。朝、母親と双子の弟を送り出す彼は、もう高校生。そう、時間と共に、人生は変わりゆく。どんな形であれ、「変わりゆく」を共にすることが、「家族」である。

 すでに両親は別れを選んでいる。父が家を出て、母は管理職になった。智晴は母の代わりに毎日を回していくため、恋や部活に励む同級生たちより、大人でいなくてはならない。

 そんな智晴がたどるのは、青春であり自立であり、癒やしの道のりである。大人でいなくてはいけなかったことで、彼の胸にもたくさんのボタンが溜まりに溜まっている。それを噴出させる場面に、読み手は大いに救われる。

 胸に残るのは、登場人物たちが、ねじれた何かを自分でほどいていく様だ。智晴の祖父は孫たちに、ずっと抱えてきた悔いを打ち明け、仲がこじれてしまった親友に智晴は、ある提案を持ちかける。そんな智晴に由紀子はついに、秘め続けてきた自分の恋を打ち明けるのだ。もう会えない者への追慕、これから始まる日々への祈り。いくつもの思いが凝縮されて、どっと押し寄せる。

 どこにも、何のねじれもないまま、生きている者がどれほどいるだろうか。私たちは日々ねじれながら、それでも、生きることをやめない。

(KADOKAWA 1700円+税)=小川志津子