越前二の宮、劔神社前の博物館にいる関係で、周辺の歴史調査の依頼を受ける。最近では、越前町織田(高橋区)に鎮座する大年(おおとし)神社の逸話について調べている。不可思議な内容だが、道教・陰陽道(おんみょうどう)の視点から興味深いことが分かってきた。今回は春の到来という季節柄、立春前後のエピソードを紹介しよう。

 逸話というのは、出雲出身で米作りが得意な「とらふさん」という女神が、毎年年末になると子どもたちを連れて、ふるさとの出雲に帰り、2月5日には高橋区に戻ってくる。その際、村人たちは触れ太鼓をたたいて集まり、米作りの極意を教わると、明け方には米作りに意欲を燃やし帰るというものだ。

 話としては田の神が秋に山に帰り、春に村人が山から迎えるという神送り神迎えに近いもので、米作りの点で穀物神、農耕神としての性格がうかがえる。

 大年神といえば『古事記』では須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)(大山津見神の娘)の間に生まれた男神を思い浮かべるが、女神の点では陰陽道の福徳神である歳徳神(としとくじん)を思わせる。

 歳徳神のいる方角は「恵方」といい、縁起が良いとされた。近年の節分での定番行事、恵方巻のかぶりつきは、これに由来している。劔神社では2月11日に鎮火祭・大左義長が執りおこなわれるが、そのとき掲げる弓状の「さばのお」は、歳徳神がいる吉方の方角(今年は南南東やや南)に向けるのだという。

 その関連から、謎の「とらふ」という名も、「寅卯(とらう)」と読み替えると、方角を意味することになる。かつて十二支は年回りだけでなく、子の北を基点に時計回りに配して方角をあらわした。寅卯とは東北東やや東であり、大年神社は劔神社から200メートルほど離れるが、その方角にちょうど位置している。

 さらに話を聞くと、女神の住所は、劔神社東の小高い丘の頂上にあったが、のちに大年神社に移転したという。大年神社東方の跡地には「間日(まび)神社跡地」の石碑が建つ。「こやんさま」とも言われ、目などの病治癒に対する信仰がある。

 「間日」とは季節の変わり目にある土用と関係している。夏の土用は有名だが、春・秋・冬にも同じような期間がある。立春・立夏・立秋・立冬に入る前の約18日間で、今年の冬の土用は1月17日から始まり、2月2日に終わった。

 四季の変化期には土の気の働きが旺盛となり、そのときに土掘りをすると、土公神(土を司(つかさど)る神)が祟(たた)るので、土木作業は避けた方がいい。ただし、土用中でも「間日」と呼ばれる日には、その障りがないという。

 これらは、土のなかにすべてのものを含むという陰陽五行説などの考えから土用は配置された。しかも、土気の高まる土用中は、土が本来もつ季節のエネルギーを奪い、体内の機能が低下するので、昔の人たちは風邪をひきやすい季節の変わり目に注意をはらってきたのだろう。

 祟りというのも、本来神がそなえる性質であり、禁忌を破れば害を及ぼす危険な存在として認識されていた。「こやんさま」も「小病むさま」と読み替えると、病が小さくなってほしいという期待感のあらわれであろう。

 日本には慣習・しきたりが数多い。荒唐無稽で今の価値観にそぐわないとの理由で、等閑(とうかん)視されがちだが、人は過去を振り返り、今に生かされていることを知り、未来への生きる力をいただくものである。1月の豪雪後、再び石碑の前で手を合わせたとき、このコロナ禍、歴史で培われた知恵のなかに、何かヒントはないものかと思った。

 本年は福井県が誕生して140年の記念の年で、本日は、ふるさとの日。これをきっかけに、身近な地域の歴史を学び、先人たちの知恵を得ることで、今後の福井のあり方が、より鮮明になっていくことを期待している。

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 ■ほり・だいすけ 1973年福井県鯖江市生まれ。同志社大文学部卒。同大大学院文学研究科博士課程後期退学。博士(文化史学)。専門は考古学。著書に「地域政権の考古学的研究」、「泰澄和尚と古代越知山・白山信仰」、「古代敦賀の神々と国家」、共著に「神社の古代史」、「古代豪族」など。