今年の大河ドラマでは、“日本資本主義の父”といわれる渋沢栄一を主人公に激動の幕末明治が描かれます。福井が一番輝いていた時代だけに楽しみです。

 その渋沢、明治維新を回想し「太政官では板垣さん西郷さん等が由利といえば大変信用して居るので随分困った。由利の経済学というものは当時名高く…」と語っています。

 江戸末期に日本独自の不換紙幣・太政官札を用いてこの国に紙幣経済をスタートさせた由利公正翁。圧倒的石高で君臨する幕府に、紙幣という別概念で金融戦を挑み、“一金の御貯”もない新政府に維新を遂げさせた公正翁への信頼は絶大でした。ただ、兌換(だかん)紙幣で欧米型の金融政策を実践しようとした渋沢とは路線が違い、「困った」のかもしれません。

 とはいえ渋沢は、翁と同じく論語を尊び、仁と徳による経世済民(世を治め人民を救う経済)を目指しました。

 なぜ2人は偉業を成せたのか? 公正翁の活躍の背景には福井藩の先進的な取り組みがありました。

 経営破綻寸前の福井藩がまず求めたのが思想、招いた横井小楠講ずる儒学で公正翁は開眼し至誠で公に尽くし民を慈しむことが武士の本分だ! と民富めば国富む「民富論」を目指します。次に福井藩は即戦力を求め藩校明道館整備と橋本左内先生を軸とする人材育成を進めます。左内先生が生産・輸出振興策を論じた頃、翁も兵法教授、きっと同僚として大いに民富の実践策を語り合ったことでしょう。

 しかしその後、一橋慶喜公の将軍擁立に尽力した先生は安政の大獄で刑死…。志を継ぐように殖産興業を進め、力をつけた翁は、福井藩主導で国論統一しようと挙藩上洛(じょうらく)を計画しますが上席の家老衆に阻止され、蟄居(ちっきょ)に。罪に問われた失意の4年余、そこに「国家財政を任せたい」と現れたのが、坂本龍馬。彼もまた新政府に翁を推挙後、暗殺されます。身分を超え、高い志で奔走し、散る命。身分制度への憤り、継承した志が、翁の原動力かもしれません。

 翁発案の紙幣・太政官札は、金銀、外貨などと交換できない不換紙幣ゆえに運用には国家への信用が不可欠。そこで翁は国家指針「議事之体大意」を提案します。冒頭「庶民志を遂げ…」が友に捧(ささ)げる一文に思えて、胸が熱くなります。

 不換紙幣は元金なく、交換率の混乱もなく発行でき、殖産興業に充てることができますが、一般財源として使いたい政府中枢や市場介入したい欧米の勢力などから概念が理解されず妨害されました。不換性を無視するように政府が相場で運用したことで翁は辞任します。引き継いだ大隈重信の財政は、産業振興費減、政府経常費増、実経済と離れた多額の紙幣発行で、相場の暴落を招きました。

 一方、渋沢は裕福な豪商農の出自。父や従兄(いとこ)に論語を学び商才も発揮して育ちます。転機は武士による御用金の取り立て。高圧的な態度と商人蔑視の憤りから、過激な尊王攘夷(じょうい)に走ります。幕府による捕縛の危機にあった彼を救ったのは一橋慶喜の家臣でした。尊王でありながら将軍に仕え、攘夷を唱えながら慶喜弟のパリ万博への使節に随行し欧州へ。そこで渋沢が見たのは、商人が対等に政治家と語る世界。彼が金融に目覚めたその頃、日本では公正翁による命がけの財政改革が始まっていました。

 公正翁辞任の前、静岡にいた渋沢は、新政府が各藩に貸し付けた太政官札を活用することを藩に進言。目覚ましい成果を上げた渋沢を、新政府は財務官として招きました。

 今年は「論語と算盤(そろばん)」を掲げた渋沢栄一だけでなく、その一歩先を進み、時代を切り開いた由利公正翁と福井の群像劇もたどりたいものです。

⇒エッセー「時の風」一覧

 ■ごとう・ひろみ 1969年福井県福井市生まれ。福井高専卒。東洋紡総合研究所勤務を経て、市内で喫茶店開業。福井県立歴史博物館併設「ときめぐる、カフヱー。」代表。著書にコミック版日本の歴史「松平春嶽」「大谷吉継」「柴田勝家」「渋沢栄一」、「藤野先生と魯迅」各原作(ポプラ社)など。

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