6年前の2015年4月、僕は小浜市へとやって来た。農林水産省から小浜市役所への出向だった。

 小浜市に来て最初に驚いたのが、スーパーの魚売り場だ。

 まず、店舗の大きさに対する魚売り場が広く、魚の種類も豊富。小浜の魚売り場には「小浜港直送」というシールが貼られた日本海特有の多様な魚が、加工前の状態で並んでいた。

 鮮魚コーナーを過ぎ、加工品コーナーへ移ると、今度は何やら魚の干物が黒っぽい。通常の干物は塩干しだが、小浜では醤油(しょうゆ)ベースのタレに浸して干した「醤油干し」が一般的なのだ。

 さらに進むと、尾頭付きのサバに竹串を打って焼いた「焼きサバ」があり、サバのへしこも一本丸ごと売っているではないか。正直、誰が買うのだろうと思うほどだ。

 僕が小浜市役所に着任してすぐ、「鯖(さば)街道」が日本遺産に認定されたのだが、尾頭つきの焼きサバを当たり前に食べるという食文化に、僕は鯖街道の起点・小浜に来たということを強く実感したのだった。

 「鯖街道」は小浜市の大きなアイデンティティーの一つだ。小浜には若狭ぐじや若狭がれいなどさまざまなブランド魚種が揚がるが、小浜を象徴する魚を一つ選ぶとすれば、やはり「鯖」だと思う。出向宣伝に行っても小浜の鯖の醤油干しは一番人気だ。

 そんな小浜の鯖は当然地元産のものだろうと思いきや、実は小浜の鯖の水揚げ量は低迷しており、海外から輸入された鯖も多いという。1974年に小浜市の田烏という地区だけで3500トン以上の鯖の水揚げがあったという記録があるが、僕が小浜市に着任した2015年は1トンを切るまでに減っていた。

 これから「日本遺産・鯖街道」を発信していく中、自分が観光客だったら「鯖街道の起点・小浜に来たからには、小浜の鯖を食べたい」と思うのではないだろうか。そして、「小浜育ちのおいしい鯖が小浜で食べられる」というのは、小浜市民にとっても誇れるものになるはずだ。このような想(おも)いから、小浜育ちのおいしい鯖を養殖する「鯖、復活」プロジェクトを立ち上げた。

 このプロジェクトに込めた思いには多くの方が共鳴してくれ、かつて田烏の巻き網船団で鯖をとっていた漁師の浜家直澄さんや、小浜市漁協、福井県立大学、若狭高校海洋学科、福井県栽培漁業センターなどの水産業のプロたちが参画してくれた。

 全国でも例の少ない鯖の養殖は多くの課題があったが、1年目からなんとか出荷することができた。2年目以降も、この紙面では書き切れないほどのエピソードを乗り越え、着実に拡大し、地域に定着してきている。

 プロジェクト当初は小浜市役所が前面に立っていたが、3年後には地元で養殖に取り組む民間の会社「田烏水産株式会社」が立ち上がり、鯖街道の終点・京都の酒蔵で仕込まれた酒かす入りの餌を与えた「小浜よっぱらいサバ」というブランド名も決まった。そして、鯖街道を盛り上げようというさまざまな動きと連動して、「小浜よっぱらいサバ」は小浜のシンボルの一つに育ってきている。

 近年、さまざまな地域活性化の取り組みがあるが、成否を分けるのは、地域の人が大切にしている思いに目を向け、そこに火をつけられるかどうかではないだろうか。

 「鯖、復活」プロジェクトがここまで来た一番の要因は、小浜市民の鯖に対する熱い想いだと思う。小浜の人は身近すぎてあまり気づいていないが、小浜は全国でも最も鯖が好きな地域の一つで、多くの人がさまざまな形で若狭と京都のつながりや、鯖街道に対する誇りを持っている。「鯖、復活」プロジェクトはその誇りに火をつけたのであり、これからもさまざまな課題を乗り越えながら、発展していくと確信している。

⇒エッセー「時の風」一覧

 ■みこしば・ほくと 1984年長野県伊那市生まれ。京都大学大学院農学研究科修士課程修了。2008年農水省に入省し環境保全型農業や担い手育成、再生可能エネルギー、スマート農業などを担当。2015年から3年間、福井県小浜市役所に出向。19年同省を退職し、小浜市へ移住。