娘が持って帰ってきた小学校のノート

靴下は白。ポニーテール禁止。鞄に付けていいキーホルダーは2つまで。その他、下着の色まで指定。そんな高校のブラック校則が最近話題になりました。子どもたちの“選択”を縛る校則は、従えばいいだけなので楽です。しかし、それは多様性を認めようとしている現代社会とは矛盾しているように見え、その間に挟まれた子どもたちは社会に翻弄されているような気がします。その圧力は小学校から始まっているかも…。そう思わせたのが娘が持って帰ってきた計算ノートを見たときでした。

□ノートの進化

新学期を迎え、ランドセルを教科書でいっぱいにして帰ってきた娘。その中に「計算ドリルノート」を見つけたのですが、そのノートを見てびっくりしました。開いてみると、まだ使っていない新しいノートのはずなのに、何やら書いてあるんです。
筆算スペース、式を書く場所、答えを書きやすいようにするための補助線……。

『へーーー!!すごくわかりやすい』

 私が小学生だった約30年前は、使うノートに規格の指定があったくらいであとは自分たちで用意していました。今は「どこに何を書くか」「どのような順番でどのくらいのボリュームで書いたらいいのか」一目でわかりすごく親切で、ノートも時代に合わせて進化しているなと驚かされました。このノートは先生にとってもフォーマットが統一されていることでマル付がしやすいでしょうし、親からしてみてもノートの書き方が汚いと子どもと言い合いになる事も、買う手間もなくなりストレスは軽減されます。使い勝手はどうなのか、ノートを使っている娘に聞いてみたところ「①②などの設問番号を書かなくていいから楽だし、この問題は筆算して解くんだな~ってわかるから使いやすいよ~」と言っていました。フォーマットを合わせて手引きが丁寧にされていることで、子どもたち全員が足並みを揃えていくこともできます。もしかしたら、このノートは凄い進化をしているのかもしれません。

□<進化>の裏に見つけたもの

『ん??でも、、』

このノートを子どもが使うことを想像したとき、違和感を覚えました。その進化したノートは、問題や答えを書く場所も1ページで解く問題の数も決められていました。筆算問題の場合は1問目の式まで丁寧に書かれていました。

私たち親世代が子供の時に使用していたノートは、もちろん書き方も各生徒に任されていました。簡単な問題は答えだけ書いたり、何度も筆算をして1ページの半分が計算式だらけになることもありました。また残りのページ数が少なくなれば、自分たちなりに工夫をして文字の幅や大きさを変え、少しでも1冊のノートを長く持たせようと工夫することもありました。
しかし、進化したノートにはその工夫する余地がほとんどありません。私には“工夫さえ必要としないノート”に見えました。極端に言えば、ノート製作者が決めた場所に、計算式や答えを書かせ、生徒全員同じペースで進めさせる。しかも、これを先生はじめクラスの全員が当たり前に使うのです。ブラック校則がそうであったように疑いもせず。

でもどのように書いたらいいのか、という“情報”をまだ持ち合わせていない子どもたちにとって、最初に渡された“用意されすぎている情報”は無意識のうちに正解とされ、子どもはその真似をして、それ以上何か工夫をしようという思考を停止させます。このノートは子どもたちにとっての“意志や選択を与えない社会”の始まりなのではないかと思うのです。

計算ノートはほんの一例ですが、こうして子どもたちは学校や社会に過剰に“用意された情報”に合わせ、従う(疑ってもいないので、この表現が正しいのかわからないですが)ことで自分形成をしていくのかもしれません。
正解や当たり前と決められた「形」に従うことに慣れ、勉強とは関係のない習慣までいつの間にか刷り込まれていくのかもしれないと思うと、私は恐怖さえ感じてしまいました。
私は、子どもたちに色々な選択肢を与えてあげたいと思っています。一人ひとりに個性があるように、考え方や感じ方の正解は一つではありません。どれも違っていて、どれもいい。
そんな寛容な社会で成長して欲しいです。

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【ゆるパブコラム】福井の若者や学生、公務員、起業家、経営者、研究者などがゆるくつながり活動する一般社団法人ゆるパブリック(略称:ゆるパブ、2015年福井に設立)が、さまざまな視点から福井のまちの「パブリック」に迫ります。ゆるパブメンバーを中心に執筆中。

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