私たちが重ねてきた日々は、「コロナ以前」と「コロナ以後」に大きく分断されてしまった。ぼんやりとテレビドラマを観ながら、そこに映るのがマスクもディスタンスもない風景だったりすると「ふうむ、これはコロナのない世界なのだな」と思うし、一方で、コロナのある風景を描きこむフィクション作品もはっきりと増えてきた。昨年放送された、綾野剛と星野源主演の『MIU404』最終回は「コロナがなかった場合のエンディング」と「コロナ禍のエンディング」が両方描かれて話題になったし、年明けにNHKBSで放送された『おもひでぽろぽろ』では、松坂慶子がフェイスシールドをつけてシニア演劇に挑戦していた。

 本書は人気作家・奥田英朗による短編集である。コロナ無しの物語が4本、そしてコロナ禍の物語が1本。ひとまず、ここでは後者について見つめたい。『コロナと潜水服』と題されたその短編は、おそらく昨年春、緊急事態下で巻き起こった物語だ。

 主人公は35歳の会社員、康彦。息子の海彦はまだ5歳だ。ある日海彦は、岐阜に住む康彦の母親である「バアバ」に、スマホ越しにものすごい勢いで「今日はお出かけしちゃダメ!!」と繰り返す。気圧されたバアバがコーラスのレッスンに行くのをやめると、なんとそのコーラス・サークルがクラスターと化す。

 海彦はコロナに関して謎の能力を持っているのではないか、との疑念をふくらませる康彦は別の日、仕事から帰宅したとたん、海彦に猛烈に拒絶される。もしや、自分が感染しているのでは? その瞬間から康彦の、超厳戒自主隔離ライフが始まる。急いで何らかの防護服を調達してくるよう、康彦にすごい剣幕で命じられた妻はなぜか、昔ながらの潜水服を買ってくるのだった――。

 コロナのどうしようもない厄介さは、それに対する危機感や温度感が、人によってまるで異なるという点にある。SNSをのぞけば、みんなこんなにも考え方が違うのかと、日々呆然とするばかりだ。その分断は、ひとつの家族内においても普通に起こる。康彦のエキサイトぶりに反して、妻はどこまでも冷静であり、そのことに康彦は大いに苛立つ。その冷静さの源泉は、実は康彦の思わぬところにあって、その着地点は、子を持たぬ女性としては少々モヤッとくるところなのだけれど、でもその是非はここでは問うまい。

 他の4本も、「人智を超えた何か」に導かれる者たちの物語だ。どの主人公たちも、その「何か」を恐れず、受け入れる。自力ではどうにもならない時代に、理屈ではない何かに身を委ねて深呼吸。そんな夢を、見たっていいよね。せめて、この本を読んでいる間ぐらいは。

(光文社 1500円+税)=小川志津子

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