「来訪神」とは呼んで字の如(ごと)し。「訪れてくる神」のことである。その神とはいったい誰なのか。かつての国家神道の神ではない。身近な、いわば民俗神の一種といえばよくわかる。さらに、いつどこから家々を訪ねてこられるのか。『日本民俗大辞典』(吉川弘文館)の「来訪神」によれば、「異界からこの世へ定期的に顕(あらわ)れる神」としている。「定期的」とはいつを指すのか。柳田国男監修の『民俗学辞典』(東京堂出版)には「小正月の訪問者」とあり、もっぱら小正月の行事として立項しているが、実際は大歳や節分、時には夏季にも行われる。折口信夫は古語を援用して「マレビト」と名付けた。

 2018(平成30)年に「日本の来訪神行事」10件が「仮面仮装の神々」としてユネスコ無形文化遺産に登録され、近年来訪神への関心がひときわ高まっている。男鹿のナマハゲ(秋田)や吉浜のスネカ(岩手)、米川(よねかわ)の水かぶり(宮城)、能登のアマメハギ(石川)、見島のカセドリ(佐賀)、甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島)、悪石島(あくせきじま)のボゼ(鹿児島)などがよく知られているが、むろん、福井県にもある。残念ながら訪問対象の子どもが減少し、登録の基準を満たしておらず選定には至らなかった。とはいえ、仮面仮装ばかりが来訪神なのではない。それを「派手系」の来訪神とすれば、「地味系」のものも細々とながらも「戸祝い・キツネガリ」として嶺南地方に継承されてきた。

 かつては敦賀市白木などにも伝承されていたが、現在は美浜町以西の若狭地方に小正月に行われるキツネガリ・戸祝いが32カ所残存、継承されている。14日の午後、子どもたち(本来は男子)が「狐(きつね)のすしは七桶(おけ)ながら八桶にたらいで 地頭殿の仰せでキツネガリするといの ガリアイガリアイ」などと大声を張り上げ、祝い棒の木槌(きづち)で激しく地面を叩(たた)いて村通りを歩き、夜半に各戸の玄関で「今年の年はめでたいとしで 門には金蔵 背戸にはぜぜ蔵 中には不動の宝蔵」などと槌で叩いて新年を予祝する(美浜町坂尻)。

 各地でそれぞれバリエーションがあるが、本来においてはキツネガリは除災、悪霊退散の、また戸祝いは新春の招福を趣旨とする行事であり、同日に行われることから現象的には習合しているのが実態である。重要なことは子どもたちが異界(他界)から現れる年神(歳徳神・正月さん)の代理として初春のことぶれを行うことにある。神の依り代として持参する採り物が各種の名で呼ばれる祝い棒で、めでたい唱え言葉もあり、派手系の仮面仮装の来訪神にない呪術性を帯びていることが注目される。祝い棒の中には削りかけの残存も見られ、アイヌのイナウ同様御幣の原初的形態を今に伝えている。樹種のヌルデ(ノンダ・ユッダ)は「勝軍木( かつのき )」「塩木(しおぎ)」とも呼ばれ、祈祷(きとう)の護摩木ともなる。また虫こぶ(虫癭(ちゅうえい))の「付子(ふし)」はかつてお歯黒に用いられた。

 ようやく、当行事が国の無形民俗文化財に選択され、3カ年にわたる大掛かりな調査報告書の刊行に向けた現地調査もいよいよ始まった。むろん、危惧すべき課題もないわけではない。新型コロナ禍による中止の影響や少子化、家族の分断や地域社会の崩壊、祭礼行事への無関心などなど。本来は稲霊(いなだま)がこもる神の縁起物として神棚に飾られた、ナマハゲなどの蓑笠(みのがさ)の扮装(ふんそう)の藁(わら)くずを厭(いと)い、来訪を幼児への虐待として拒絶する事態も見られるご時世である。その一方、ケルト起源の西洋の来訪神行事であるクリスマスやハロウィーンに興じる、全く精神性を欠いた風潮はいかがなものか。まずは自前の民俗文化を継承し尊重することから、誇らかな愛郷心を育んでもらいたいものだ。

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 ■かねだ・ひさあき 1943年福井県美浜町生まれ。敦賀高校卒業後、国家公務員になり、その間谷川健一氏に師事し民俗学を学ぶ。国立歴史民俗博物館、日本国際文化研究センター共同研究員、福井県文化財審議会委員を歴任。著書に「森の神々と民俗」「あどうがたり」、詩集に「言問いとことほぎ」「賜物」「理非知ラズ」など。

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