インドにバラナシというところがあります。昔はベナレスとも言いました。皆さんもテレビなどで、沢山(たくさん)のインド人がガンジス河の岸辺で水につかってお祈りしている様子をご覧になったことがあると思うのですが、あそこがバラナシです。インドで一番聖なる場所、最強のパワースポットです。多くのインド人は、バラナシへお参りすると大変なご利益(りやく)があると考えていて、「一生に一度はバラナシへ行きたい」と願います。そしてもし、バラナシで死んで、そこで火葬にしてもらえたら、必ず天に生まれ変わることができると信じています。だから、死ぬためにバラナシへ来る人もいるのです。

 以前インドへ行った時、バラナシ行きの列車に乗ったら、通路の端やトイレの横に、重病の人たちがうずくまって乗っていました。車掌さんに尋ねたら、「病気になり、お金もない人たちがバラナシへ行って死にたいと願って乗っているんです。料金はとりません」と言っていました。この人たちは向こうに着いたら、観光客や裕福なインド人からお金をめぐんでもらって、それを貯(た)めて、自分の火葬の薪代にします。死んで火葬にしてもらって、煙になって天へ昇り、そこで、つらかった人間の暮らしから解放され、天界で幸せになる。そんな思いを秘めて列車に揺られているのです。

 この人たちは皆、「生きるのはつらいことだ」という事実を身をもって感じ、そのつらさからなんとか逃れて、平安な世界で暮らしたいと願い、その唯一の道としてバラナシを目指します。日本人の目から見ると随分可哀相(かわいそう)なように思えるかもしれませんが、多分、この人たちから見ると、私たち日本人の方がよっぽど可哀相に見えるでしょう。なぜなら、この人たちは現実の世界がどれほど苦しいものであっても、「生まれ変わって天で幸せになる」という別の道があることを確信しているからです。「今どんなにつらくても、その先には喜びの世界がある」という思いに支えられて希望を持って生きることができます。

 それに比べて私たちの日常はどうでしょう。「欲しいものを手に入れることが幸せだ」「より良い暮らしを追い求めることが幸福の道だ」と考えているその先にどんな希望が待っているのでしょうか。欲しいものが手に入れば、もっと良いものが欲しくなって心が騒ぎ、欲しいものが手に入らなければ、不満と怒りで心は暴れる。欲望を満たすことが幸福だと考える人の心はいつまでたっても安心しない。「来世で救われるという気持ちのないあんたたちは、欲しいものを追っかけて輪っかの中をぐるぐる走り続ける鼠(ねずみ)みたいだ。そうやっている間に死が迫ってきたらどうするのかね」と、バラナシで死を待つ人たちは私たちを哀れんでくれるでしょう。

 私は仏教学者なので、今回から連載を始めるこのコラムで、お釈迦(しゃか)様が考えた「安楽への道」を分かりやすくお話したいと思っています。不安が渦巻くこの世の中で、いくら理想の暮らしを追い求めてもそれは叶(かな)わない。ならば私たちが真の幸福を手に入れるにはどうすればよいのか、ということを考えていきます。

 釈迦はバラナシへ向かう人たちのように、「死んで来世で天に生まれよう」などとは考えませんでした。釈迦は、「今生きているこの人生の中で、真の安楽を手に入れるにはどうしたらよいか」を私たちに教えてくれたのです。バラナシへ行かなくても、天に生まれ変わらなくても、日本にいて暮らしながら、それでも不安のない暮らしをどうやったら実現できるのか。来世の生まれ変わりを信じることのできない現代の日本人でも、心の平安を手に入れる方法はあるのか。そんなお話をしていきたいと思っています。

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 ■ささき・しずか 1956年福井県坂井市三国町生まれ。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科卒。京都大学大学院博士課程満期退学。花園大学文学部長。文学博士。専門は仏教学。著書に「出家とは何か」「犀の角たち」「日々是修行」「般若心経」「ブッダ 真理のことば」「真理の探究」など。