来年の大河ドラマ「青天を衝(つ)け」に松平春嶽公と橋本左内先生が登場することが発表され、胸を躍らせている。明治維新における福井藩の役割はとても重要であり、まだ多くの藩が鎖国を唱えていた頃より、いち早く開国し、海外技術を取り入れるべきだと未来を見据えていた。明治になり、ようやく日本は世界に追いつくために全力を挙げたが、そのような中で世界に認められた日本の研究第一号は、1896年のイチョウの精子発見であり、福井出身の平瀬作五郎氏によるものであった。

 平瀬氏は留学経験もなく、帝国大学の植物学教室に西洋画の画工として採用され、イチョウの精子発見という世界的偉業を達成した。私は、平瀬氏が所属していた植物学教室の流れをくむ東大の植物学専攻で大学院時代を過ごし、平瀬氏については以前よりよく知っていた。しかし、平瀬氏が福井出身であり、明新館で学んだと知ったのは、つい3~4年前のことである。福井市グリフィス記念館を訪れ、パネルの中に平瀬氏の名前を見つけた時はとても興奮し、すぐに植物の受精を研究している夫に電話をかけた。福井藩では、左内先生の行った教育改革により西洋式の科学教育に力を入れており、アメリカからグリフィス氏を明新館に招聘(しょうへい)し、日本初の米国式実験室を設置したのも福井であった。平瀬氏はグリフィスの授業も受けており、このような福井における最先端の科学教育は、平瀬氏の大発見に大きな影響を与えたに違いない。

 平瀬氏は、1912年に帝国学士院の恩賜賞を受け、今もなお偉大な研究者として尊敬され続けている。平瀬氏が精子を発見したイチョウの木は、東大の小石川植物園の中でシンボル的な存在である。また、イチョウ精子発見100年にあたる96年には、記念式典や国際シンポジウムが開催され、学生だった私もお手伝いに駆り出された。さらに、私が所属する日本植物形態学会では、平瀬作五郎氏のイチョウの精子発見にちなみ、「イチョウの葉と精子」のスケッチがロゴになっている。イチョウの精子発見の百周年には、その功績を讃(たた)えた「平瀬賞」も創設され、私も2004年に受賞させていただいた。

 そして、今年から、明新館の流れをくみ、私の母校でもある藤島高校の生物部と、夫の研究室に所属する東大の奥田哲弘助教、後輩の福井県立大学の風間裕介准教授とでイチョウの精子に関する共同研究が始まった。共同研究により、私は初めてイチョウの精子を観察することの難しさを知った。精子が観察されるのは、1年に1度で8月下旬から9月ごろ、それもその時期のほんの一瞬しかない。

 当時、世界的に著名な研究者であるボン大学のシュトラスブルガーも、イチョウの精子発見を目指し、平瀬氏よりも早く研究を開始していた。2人の明暗を分けた差は、「精子はほんの一瞬しか観察することができない」という事実に気が付いたかどうかであろう。平瀬は、その一瞬を逃さないように、植物園の大イチョウにやぐらを組んで顕微鏡を持ち上げ、その瞬間を待った。

 一方、シュトラスブルガーは、大学の近くにイチョウがなく、ウィーン大学植物園から2週間おきに送ってもらっていた。その時点で、結果は明らかだった。研究をしていて思うが、小さな現象を見すごさず、どこが重要なポイントかを見極めるというところに差が表れる。平瀬氏の大発見は、まさに彼の卓越した観察眼と深い洞察力により達成したものと思われる。

 このような日本が誇るべき世界的な大偉業を成し遂げたにもかかわらず、平瀬氏があまり知られていないというのも、福井人らしいと感じる。イチョウの精子発見後、大学退職という不運も重なったが、本人も、敢(あ)えてアピールしなかったのだろう。本日が最終日であるが、福井県教育博物館において平瀬作五郎氏の企画展が開催されている。ぜひ、平瀬氏の成し遂げた大偉業を福井の多くの方に知ってもらい、福井の誇れる大偉人の一人として全国に発信していってほしい。

 ひがしやま・なりえ 1970年福井市生まれ。お茶の水女子大卒。東大大学院理学系研究科修士・博士課程修了。理学博士。専門は生物学。松平春嶽、橋本左内の顕彰団体「白鷺舎」副代表。藤島高の同級生と左内の歴史漫画本を出版、原作を担当した。お茶の水女子大学長補佐を兼任。旧姓佐々木