福井県福井市の中心市街地

こんにちは、ゆるパブメンバーの森一貴です。

さて、「みんなが幸せになれる社会」って、どうしたら作れるのでしょう?今日はそんな問いを広げながら、福井で始まっている「パブリックをゆるめ、”つくる”を広げる」実践について、皆さんに伝えてみたいと思います。

■私たちが目指すべき、「できるという確信」のある社会

生まれてこのかた、私はずっと「みんなが幸せになれる社会」について考えてきました。そこでわかってきたのは、そもそも「みんなの幸せ」なんて存在しないということ。そこにあるのは、あくまで一人ひとりにとっての、一人ひとり異なる幸せの形なんですよね。

でも、そこで「じゃあ、あとはそれぞれで勝手に幸せを見つけてね」というのも、ちょっと自己責任に頼りすぎているような気がします。このとき、私たちには一体何ができるでしょう?

私がたどり着いた答えは、以下のようなものです。

「一人ひとりの幸せ」が存在するなら、その「幸せ」を気軽に、無意識に選べるような「たくさんの選択肢」と「それを選んでいいと思えるような社会の空気や制度」を作っていくことが大事なのではないか。私は上記の2つが達成されている状態、つまり「変わっていいのだ、という確信を持てること」を、「自由」と呼ぶのだと思っています。

そんな「自由」な社会を、私たちは作っていくべきなのではないか。

例えばいま、「フリーランス」という生き方は、(まだまだ当たり前とは言いづらいかもしれませんが)徐々に当たり前に選べる選択肢のひとつになりつつあります。かつては、選択肢として存在することはみんな知っていても、ほとんど選べる人はいませんでした。しかし、徐々にクラウドソーシングが広まり、世の中に体験談や、フリーランスになる手法が公開され、フリーランスになるハードルは、少なくとも以前に比べて下がってきました。

これが「選択肢が増え」、かつ「選びやすい社会になってきた」……つまり、フリーランスになる自由がある社会になった、ということなのではないでしょうか。

そんな「そうなれる/できるという確信(今回では、フリーランスになろうと思ったら、なれる!と思えていること)」を、インドの経済学者アマルティア・センは「ケイパビリティ(Capability)」と呼んでいます。このケイパビリティ=できるという確信を、どんどん広げていくこと。それが私たちが目指す「誰もが幸せな社会」の、ひとつの指針になるのではないでしょうか。

■「自分たち自身でつくる」社会

しかし、そんな自由な社会を目指す前に、知っておかなければならないことがあります。それは、「誰か一人が(ある一つの組織が)、全員が望むようなすべての選択肢を提供することはできない」ということです。全知全能の神様がいれば話は別ですが、全ての悩みを知り、全ての悩みに応えられる人はいません。選択肢は、その選択肢が必要だ、と思ったそれぞれの人たち自身が、自分たち自身で作っていける必要があります。

例えば大きな(制度的な)話でいえば、生物学的に男性の人同士が結婚できないという状況は、数十年前までは実は当事者にとっては大きな問題でしたが、当時は社会の中では「問題」だと思われていませんでした。こうした状況に対して、当事者の人たち自身が声をあげ、自分たちで常識をつくり、制度をつくる、ということが当たり前になっていく必要があります。もう少し身近な話でいえば、生徒数の少ない小学校で、野球部しかない、というとき、バスケをしたい人たちが自然にバスケ部を作ることだって、自然で当たり前な選択肢でであるべきです。

身近なことから大きなことまで、こうしたひとつひとつの物事を、お金がある人、偉い人たちが決めたり、作ったりするのではなく、「自分たち自身で」作ったり、変えたり、関わったりできるようになること。それが、私たちが目指すべき社会の、ひとつの理想形であるはずです。

■専門家に手渡し続けてきた私たち

しかし、私たちがこの「変えやすい」状況を目指したい一方で、私たちがこれまでに創造してきた社会が取り組んできたのは、まさにこれと正反対のことだ、と言っている人がいます。それがオーストリアの哲学者、イヴァン・イリイチです。彼が言っているのは、以下のようなものです。

私たちの村を管理するのは、かつては私たちでした。水道を引くこと。道路のでこぼこを直すこと。ゴミを処理すること……。こうした業務はしかし、まとめたほうが安価で、効率的です。こうしたことから、私達はこれらの業務を、まとめて誰かにお願いするようになってきました。こうして生まれたのが「行政」です。結果として、行政はその専門家として、私たちの業務をまとめて担うようになってきました。

その結果、私たちの生活はもちろん便利になってきました。その一方で、いま私たちは、水道を引いたり、道路のでこぼこを直したりする方法を知らない、ということが当たり前になってきました。また、行政が取り組んでいる内容もいつの間にかどんどん専門性が高くなり、いまや、私たちが自分たちでそれを運用しようと思っても、私たち自身でそれを担うことは難しくなっています。

同様のことが、例えば教育、医療、福祉といった領域、あるいは例えば「机をつくる」「畑を耕す」「車をつくる」……といった多様な領域に至るまで拡がっています。はじめは自分たちで決めて、自分たちで作っていたはずなのに、今では「誰か専門的な人がやる」ことが当たり前になっているのです。

もちろん、私たちの生活はそれによって利便性を獲得してきたわけで、それを否定することはできません。しかし、その流れによって私たちは、机を作ることも、畑を耕すことも、自分たちでは全くできなくなってきてしまった。私たちが”できる”ことは、今やほとんどないように思えます。私たちは時代が進むなかで、どんどん「ケイパビリティ」を失ってきたのです。

イヴァン・イリイチはその潮流に警鐘を鳴らし、脱官僚主義を主張しています。つまり「自分たちで自分たちのことを決めよう」ということを提唱しているのです。

さていま、なにかの専門家である私たちは、「使う人」自身のケイパビリティを取り戻すために、何ができるのでしょうか?また、使う人自身である私たちは、自分たちで椅子や、仕事や、家や、自分の人生や、常識や、まちを作っていくために、どうしたらいいのでしょう?

■専門家にできること:Design with people / Design by ourselvesへの転換

専門家は、どうやって「使う人である私たち」のケイパビリティを取り戻せるでしょう。それを考えるうえでは、協働のデザイン(CoDesign)を専門に研究する専修大学・上平崇仁教授のモデルが参考になります。

上平教授は、「Design for user(ユーザーのためのデザイン)」「Design with people(人々とともにデザイン)」「Design by ourselves(私たちによるデザイン)」という、3つのデザインのプロセスを提唱しています。

これまでのモデルというのは、専門家が何かを作り、使う人は、あくまで「ユーザー(=使う人)」でしかありませんでした。行政が政策をつくり、市民に手渡す。農家が農作物を作り、家庭に手渡す。デザイナーがモノをデザインし、ユーザーに手渡す。こうした「Design for user」の形が主に一般的だったのです。

いま、そのデザインのプロセスが広がり、人々とともにつくる、あるいは、私たち自身が作り出す、という方向へと徐々に発展しています。このとき専門家の役割は、知識を専有し、閉じた環境で何かを決めるというものから、私たち自身が作るという営みを、エンパワメントする(後押しする)役割へと変化していくことになるでしょう。

そんな、専門家が「決める/つくる」側から「後押しする」側へ、というプロセスの転換は、徐々に福井でも取り入れられはじめています。「Design with people」の視点では、2020年7月に公開された「福井県長期ビジョン」の策定プロセスが象徴的でしょう。福井県庁では「2040年のふくい」を描くワークショップやヒアリングを実施し、なんと合計5000人以上の県民を巻き込んで長期ビジョン策定に取り組んだといいます。

こうしたデザインプロセスの転換を追い風に、福井県庁では「ふくい政策デザイン」をスタート。筆者・森自身も関わりながら政策形成においてサービスデザインや人間中心設計の手法なども取り入れ、実際に政策の対象となる人々を巻き込みながらデザインリサーチに取り組んでいます。