俵万智の第6歌集『未来のサイズ』の冒頭「I」には、新型コロナウイルス禍で詠まれた歌、59首が収められている。突然のように訪れた災厄に私たちはおののき、恐れたが、その非日常も長く続けば、やがて日常になっていく。その過程には驚きや発見がある。苦労もあるが、新たな喜びや楽しみを見いだしもする。59首を味わいながら、そんな日々を思い返した。

 〈朝ごとの検温をして二週間前の自分を確かめている〉

 〈目に見えず生物でさえないものを恐れつつ泡立てる石鹸〉

 〈地下鉄の車輛に立つ人座る人 咳をすれども一人になれず〉

 毎朝の検温やしつこいぐらいの手洗い、そしてマスク。新しい生活習慣は煩わしいものが多い。3首目の下の句「咳をすれども一人になれず」は尾崎放哉の代表句〈咳をしても一人〉をもじっている。電車の中で咳をしようものなら「コロナか?」と痛いぐらいの視線を浴びたり、体の向きを変えられたりしてしまう。そんな状況を、諧謔を交えて詠んだ。

 出演番組の打ち切りが決まる。お気に入りのカフェが廃業する。人と会う約束や仕事が次々なくなっていく。そんな残念な事態も題材としているが、オンラインミーティングなどの新しい経験も取り上げる。〈トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ〉という歌は、昨年読んでも理解できなかったかもしれないが、今なら一発で分かる。

 〈感染者二桁に減り良いほうのニュースにカウントされる人たち〉は、感染者を「数」として処理し、説明することの罪深さを突く。〈濃厚な不要不急の豊かさの再び灯れゴールデン街〉を読み、「不要不急」かどうかで全てを二分することのやりきれなさを思い起こす。

 日常のありがたさを再認識する歌がいい。

 〈笑うとは花が咲くこと録画しておいてよかった「翔んで埼玉」〉

 〈手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間〉

 笑うという行為のすばらしさ、息子と餃子を一緒に作ることの幸福感。歌に詠まなければ、きっと過ぎ去って忘れてしまうような一瞬を切り取り、定着液につけて、歌集というアルバムに貼り付けた。

 「II」は2013〜16年、「III」は16〜19年の歌が並ぶ。「II」と「III」の間で、歌人は石垣島から宮崎へと住まいを変えている。息子が中学生になるタイミングに合わせての引っ越しだ。「II」と「III」を通して読むと、息子が成長し、徐々に親離れしていくことの喜びと淋しさが伝わってくる。

 〈制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている〉

 〈親という役割だけを生きる日の葉桜やさし授業参観〉

 〈最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て〉

 子育てもまた、日常である。しかし同じ日は二度とない。日常というものの真実に触れる歌集である。

(KADOKAWA 1400円+税)=田村文

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