「オンライン飲み会」などというものが、あり得るなんて、まして自分がやるなんて、夢にも思わなかった。メンバーは、学生時代、毎週土曜の午後、大学の一角で無料法律相談を開いていた「部」の仲間である。OBの教授、助教授や弁護士が来ていて、学生は、先に話を聞いてポイントを整理する。借家や家族関係の相談が多かった。忘れられないシーンがある。後に最高裁判事にもなった教授が、学生を下がらせて、涙ながらの若い女性の相談に、とても長い時間、真剣に、そして優しく耳を傾けていた姿だ。ちょうど夕日が当たり、「後光がさしている」と誰かがつぶやいた。

 現実社会を学ぶというのが、活動の趣旨だが、部室でたむろし、下宿で飲むのが日常である。当時、我々の大学の法学部の講義は、出席をとるものはなく、試験だけで単位が取れたから、まるで大学に行かないというのが、けっこういた。マージャン、バイトに放浪、それぞれである。蝶(ちょう)が趣味だと、入学の日に自己紹介した彼とは、以来、会うことはなかった。今でも蝶を追いかけているのかな。同じ頃、新入生ガイダンスで「うちの(理)学部では、三分の一の確率で学生が行方不明になる」と言われたという話も、さほど不思議はない。

 聴きたい講義だけ出る。教授たちが自説を存分に述べている。ノートを完璧にとる天才がいて、試験前にはコピー店が大混雑。国家試験は、他大学の先生の試験向き「基本書」で自学自習。「学問」の方は、そもそも教えるものでなく、「自分でするもの」であった。だからか、ゼミの教授の学説に反論した答案に、よい点が付いた。

 そうした時代は、昭和のノスタルジー、とっくに終わっている。かつてバンザイと喜んだ「休講」は補講なしには済まない。大学教員をしている友人たちは、どこもそうだ、我々の頃とは違うよ、と言う。確かに、今は、学生も真剣、先生も教育に懸命なのである。

 多くの大学と同様、福井県立大学は、この春から、ずっと遠隔授業で、新入生はキャンパスに足を踏み入れることができなかった。教科書的な知識を得るだけなら、通信環境やITスキルといった課題をクリアすれば、遠隔にも長所がある。通学の時間は要らないし、どこにいてもいい。繰り返し見ることもできる。

 でも、それだけではない。実習や実験、手で触れて、身体で獲得しなければならないものが、たくさんある。4月にスタートした、あわらキャンパスの創造農学科は、100年前にできた県農業試験場の農業技術員養成課程の伝統を引き継ぐものだ。学生一人一人が、7坪ほどの農地を受け持つ。現場を学ぶための地元の農業者の方々とのネットワーク組織もできた。小浜に新設予定の増養殖の学科は、魚を育てることはもちろん、飲食や流通までつなげる地域連携の実践が肝となる。看護や介護は、言うまでもなく、相手は生身の人間だ。10年前のトウモロコシ畑が広がるタイの恐竜発掘現場、恐竜博物館長であった東洋一本学名誉教授は、ただの石と化石の見分け方を問う私に、「舐(な)めてみれば分かる」と教えてくれた。本物は「舌に吸い付く」と。

 10月から、何とか本格的な対面授業を始めることができた。精いっぱいの感染症対策を積み重ねて、である。学生たちの明るい声がする。初心者マークの軽自動車の列がほほ笑ましい。ようやく、新入生にも友だちができるだろう。サークルや研究室は楽しいだろう。生涯の出会いが、きっとある。

 我々の飲み会は、徳島、大阪、東京、福井の物理的な「ディスタンス」と40年の時を瞬時に超えた。うらやましがらせようと地酒と肴(さかな)を用意したのだが、オンラインは「一人酒」。すっかり酔ってしまった。心安らぐ語らいのうちに夜は更け、仲間たちは、少しばかりの物足りなさを埋め合わせるように、「今度はリアルでな」と言いながら、パラパラと画面から消えていった。「昔の友にはやさしくて 変わらぬ友と信じ込み…」、河島英五の定番ソングが浮かぶ。

 やまだ・けんいち 1958年越前市(旧今立町)生まれ。京都大法学部卒。83年福井県庁入庁。産業労働部長、総合政策部長、総務部長を歴任し2017年7月から19年7月まで副知事。19年6月から県国際交流協会理事長。同年8月から現職。