本書の主張を乱暴に要約してみる。いろいろな異物が共生しているところに日本文化の特長がある。両立しがたいものを両立させるこの「習合」という仕組みは、社会集団がうまく機能するための固有の優れたシステムだ――。

 著者が言うように、同様の指摘は既に加藤周一が「雑種文化論」で述べており、加藤の論評を総論とするなら、本書はその各論集に当たる。各論の中核として論じるのが、雑種文化の典型的な事例と位置づける「神仏習合」だ。

 素朴な疑問が提示される。すなわち仏教と神道の共生という千年以上続いた日本の宗教的伝統が、なぜ明治新政府の一本の政令「神仏分離令」によって、さしたる組織的抵抗もなく、すんなり棄却されたのか? 確かに不思議といえば不思議。

 この歴史上のミステリーに対して、著者は「受け入れ、消化する」ことこそ習合の習合たるゆえんというアクロバティックな仮説を展開するとともに、神仏分離令を反ユダヤ主義や黄禍論、民族排斥など歴史的に繰り返される、「原点」や「純血」を目指す政治的熱狂と重ねて論じる。

 このスリリングな神仏習合論は本書全体の5分の1にとどまる。残りはさまざまな分野で「相性の悪いもの」がいかに日本で折り合ってきたかを論じている。日本語と外国語、農業と市場、株主と経営者、戦前の憲法と戦後の憲法……。全体を貫くのは、異物を排除する傾向を強めていく今の社会に対する警戒と異議であり、何も排除せず何も破壊しない習合的な知性の再評価だ。

 守備範囲の広さと鋭利な洞察、クリアカットな文章という著者の強みは本書でもフル稼働しているが、タイトルから著者の『日本辺境論』や『私家版・ユダヤ文化論』のようなまとまった論考を期待すると、肩すかしにあうだろう。各所でバラバラに書いた文章や講演録を集めて「習合」という間口の広いテーマでまとめたコラム集に近い。だがそれもまた、異なるものをおおらかに受容する習合的な知恵ということか。

(ミシマ社 1800円+税)=片岡義博

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