半ば、自分を試すつもりで、この本を選んだのだ。美容皮膚科医として、実年齢にはまるで見えない若さと美しさを高く掲げて生きている主人公。その彼女が、50手前になって「女として生きたい」と願う物語だというのだ。

 果たして自分は「女として生きた」ことがあっただろうか。この本を手にして、浮かんだのはそのことだ。「女であること」によって、得たもの。もっと言ったら、「美しい女であること」によって、得たもの。美しくあることで無条件に得られる興味、好感、優しさ、愛情、幸福。――思いあたるものがない。あったのかもしれないけれど、その実感がまるでないのだ。

 だから「女として生きたい」が今ひとつよくわからない。そんな私がこの本を読んで、「女として生きたい」と願う同世代の主人公に、果たして何を思うのか。

 謎めいたオーナーが営む豪奢なクリニックの、院長として働く主人公。「美」に関しては大いにお金を使い、あらゆる「施術」を経て若々しさを保っている。そんな彼女の日常が、まずは切々と描かれる。顧客獲得のためのあらゆる画策、女性スタッフたちのいざこざ、離婚して引き取った大学生の息子の学費と生活費、老人介護施設に暮らす母親とのあれこれ、定期的にオーナーと過ごす一夜。苦労が絶えないその日々の中で、薄毛治療にやってきた男と、主人公は恋に落ちる。

 自分は「枯れていく」のみ、と思っていた主人公にとって、それは思いがけない展開だ。30代半ばの、公平という男性。婚約者に振られたと語る彼は、主人公に胸襟を開き、連絡先を交換するやいなや、彼が見た景色を写真にして、逐一LINEで主人公に送ってくる。

 そこから、彼と彼女を取り巻いた現実は過酷である。アラフィフの女が、若い男と付き合うことで起こるであろうことどもが、くまなくふたりに押し寄せる。主人公は別れを決意する。けれど男にはその真意がわからない。人生の要領を得た大人が、スマートに生きていけるだなんて幻想だ。愛しい人と、愛しい日々から、貼り付いた身体をひっぺがすようにして主人公は日々をやり過ごす。

 自分が望むものをそばに置き、自分を大切にしてくれる人と共に生きる。皆それを願っているけれど、その道程は険しい。その困難はおそらく「男」だろうと「女」だろうと同様である。ラストに描かれているものが、果たして、光なのかどうかすら危うい。私たちは皆、絶望と希望を代わる代わる食らいながら、生きる。

(講談社 1600円+税)=小川志津子

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