福井地震の様子を克明に記録した酒井俊さんのノート

 1948年6月28日に起きた福井地震の直後、東京から実家のある福井県坂井市三国町に向かったときの状況を克明に記録した男性のノートが見つかった。トラックと徒歩で苦労しながら郷里までたどり着いた行程、建物や鉄橋が倒壊した惨状、混沌とした人々の様子などが生々しく書かれている。

 男性は酒井俊さん(故人)。戦前の幼少期を三国などで過ごし、東京で就職。現役を退いた後は1979年から93年まで古里で暮らした。長男の酒井恒蔵さん(71)=川崎市=が遺品の中からノートを見つけた。福井地震は俊さんが35歳のときに起きた。

 ノートの記述は地震から3日後の7月1日、国鉄鯖江駅に着いたところから始まる。「午前11・50 鯖江着。トラックあれどすでに満員にてのれず。(中略)西本願寺のトラック来り、之に交渉、福井迄運んでもらふこととす。乗らんとする者多く、超満員危険状態につき下車せしむる者数名…」。混沌とした状況が伝わる一方、「救援物資満載のトラック、行列をなして福井へ福井へと走る」と支援に向けた動きも見られる。

 被害について「江端に至る頃、倒壊甚だし。花堂に至り、無残な倒壊。木田方面一部倒壊を免れたるを見る」と記述。「幸橋上にてトラック停車、下車この付近より火災甚だし。余燼(よじん)尚あり。大和デパートの姿、無残、尚6階辺りより煙をはく。人絹倉庫も燃えたり。ただよう煙よりは屍臭(ししゅう)鼻をつく」という惨状だ。

 福井市中心部から三国に行く交通手段が見つからず、移動は徒歩。「鉄橋は全部落下」「列車の脱線せるもの延々たり」「堤防は口をあけ、四分五裂、洪水の危険あり」。生々しい描写が続く。三国の実家に着いたのは午後7時半。石垣は崩壊、台所は全壊、土蔵も「取りこはしの外なし」という状況だったが、幸いにして両親は無事だった。

 2日から6日までは、町内の人たちに手伝ってもらい家の応急処置を行う様子が書かれている。7日午前8時に家を出て、福井駅から午後4時20分発の米原行き列車に乗車。ノートは7月8日の「午前10時30分、帰京」で終わっている。

 恒蔵さんは「両親が無事か分からず、三国に向かったのだろう。生前に聞いていた話の通りだが、家族の歴史の一つが詳しく分かり感慨深い」と話している。