【越山若水】類似の名称が混乱を招くとして京都市立芸術大が、京都造形芸術大から京都芸術大に校名変更した大学の運営法人に名称使用差し止めを求めた訴訟。大阪地裁は「市立」の有無で識別できると、請求を棄却した▼負けはしたが裁判でその存在をアピールした京都市立芸術大は1880年、京都府画学校として創設された。国内の芸術系大学としては最も歴史が古く、日本画の上村松園、山口華楊ら多くの人材を輩出している。福井の三上誠は前身の京都市立絵画専門学校の卒業生である▼三上は戦後早々に京都で、日本画の革新を目指すグループ「パンリアル美術協会」を結成、中心メンバーとして活動した。花鳥風月的な題材ばかりで、現実の社会現象に目を向けない日本画壇の古い体質を痛烈に批判した▼だが肺結核を患い、手術で肋骨(ろっこつ)を11本切除した。療養のため帰郷し、生活苦や病と向き合い創作を続けた。当時の日記には「孤独」「寂寥(せきりょう)」「絶望」などの言葉が繰り返し登場する▼そんな中でも鍼灸(しんきゅう)をモチーフにしたり、肉体の痛みや生への欲求を表現したり、独自の作品を発表し続けた。初期の代表作「F市曼荼羅(まんだら)」には平和を祈り、空襲で焼かれた福井市再生の願いがこもる。1972年に亡くなり半世紀近くになるが、感染症との闘いから生まれた作品と新しい表現に挑んだ志は、コロナ禍の今こそ見直したい。

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