完成した忠直の人形。大坂夏の陣で真田幸村を討ち取っや勇姿をイメージしている=大分市の萩原天神社

 人形を用いた祭礼の風習が残る大分市萩原地区で、同地に配流された2代福井藩主・松平忠直の大型人形が制作された。福井での乱行伝説が残る忠直だが、大分では寺社の再建や寄進に尽力した仁君として信望があり、人形には新型コロナウイルス終息や全国で相次ぐ水害の鎮静などへの願いが託された。福井県内では近年、忠直の名誉を回復しようという動きもある。関係者は喜ぶとともに「歴史をきちんと検証する機運が高まってほしい」と話している。

 萩原地区では毎年8月末、人形で飾った山車を走らせる「曳山(ひきやま)」が行われるが、今年は新型コロナで中止となった。伝統を絶やさぬようにと、地域の有志でつくる萩原伝統文化保存継承委員会が、同地ゆかりの忠直の人形制作を決めた。

 豊臣家が滅亡した1615年の「大坂夏の陣」で真田幸村を討ち取り、大坂城一番乗りを果たした忠直の勇姿をかたどった。デザインを担った同委員会の堤亮介さん(32)は「決死の覚悟で戦に臨んだ在りし日の忠直に、社会の不安や閉塞(へいそく)感を断ち切ってほしい」と思いを語る。高さ約1・5メートルの迫力を備えつつ、手描きで細部まで絵付けされている。陣羽織の淡い青は福井特産の笏谷石の色味をイメージしたという。

 「立派に出来上がった。機会があれば、福井の人たちにも見てもらいたい」と堤さん。8日、地元の萩原天神社に奉納された。

 忠直については藩主時代、酒と色欲に溺れて意に沿わぬ家臣を切り捨てるなど、乱心乱行の暴君だったと語られることが多い。参勤交代を拒否して幕府への忠誠を欠いたとして、配流処分を受けた。

 一方、配流先の大分では神社仏閣の再建、寄進に力を入れ、信望を集めた。福井藩ゆかりの絵師、岩佐又兵衛の作といわれる「熊野権現縁起絵巻」を神社に奉納するなど、地域の文化芸術にも影響を与えた。忠直の僧名の「一伯(いっぱく)」と名付けられた菓子もあり、市民らに親しまれている。

 ふくい歴女の会会長で、「松平忠直卿に光をあてる会」のメンバーでもある後藤ひろみさん(福井市)は「忠直公の古里の者としてうれしい」と歓迎。乱行伝説に明確な根拠はないと指摘した上で、「今も大分で慕われている忠直公が、地元福井で暴君として語られ続けるのはもったいない。人形制作が良い刺激になって、福井でも忠直の歴史をきちんと検証する機運が高まれば。ぜひ福井に“里帰り”もしてほしい」と話している。

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 松平忠直(1595~1650年) 2代福井藩主。藩祖結城秀康の長男で、徳川家康直系の孫。大坂夏の陣では敵将真田幸村を討ち取った。原野だった鳥羽野(現鯖江市)の開拓などにも取り組んだ。1623年、豊後(ぶんご)国に流罪となった。

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