学徒動員で製鉄所のれんが運びをしていた和田さんは1945年7月14日、けたたましいサイレンでトンネルに逃げ込んだ。今死ぬか、今死ぬか―。震えながら身を潜め、3時間ほどたってから外に出ると街は火の海だった。60代後半から語り部として県内の小中高校を訪れ、時には当時の「大根飯」を食べさせた。東日本大震災で自宅が被災し、多くの友人が犠牲に。体も弱り、一時は語り部をやめようと考えたが2015年7月、大船渡市の中学校で6年ぶりに戦争体験を語った。「もう苦しい思いはさせたくない」。使命感だった。(2015年岩手日報掲載、当時85歳)

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 今年、終戦から75年を迎えます。戦争の時代を生きた人たちの証言を聞く機会が減りつつある今、これまでの取材や投稿の中から貴重な「言葉」を紹介し、戦争の悲惨さ、平和と命の尊さを見つめ直します。全国の地方紙とも連携します。

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