「白嶺の金剛夜叉 山岳写真家白籏史朗」(山と渓谷社)

 福井県大野市出身の作家、井ノ部康之さん(80)が日本を代表する山岳写真家で昨秋死去した白籏史朗氏(1933~2019年)の評伝「白嶺の金剛夜叉 山岳写真家白籏史朗」(山と渓谷社)を刊行した。山岳月刊誌「山と渓谷」で2003年に連載したインタビューを基に加筆、改稿し、巨匠の人間臭い実像に迫っている。

 白籏氏は33(昭和8)年、富士山を望む山梨県廣里村(現大月市)に生まれた。貧しさのため高校進学を断念。家事を手伝い鬱々とした時を過ごす中、一枚の橋の写真に激しい感動を覚え、自然を相手にした写真の道に進むことを決意した。

 富士山の写真で名を成していた岡田紅陽の内弟子を経て、個展の開催、写真集刊行、自らの名を冠した写真展示館開館と着実に歩みを刻んだ白籏氏。南アルプスや尾瀬、富士山のほか世界の高峰へも挑戦を広げた。登山が趣味の天皇陛下とは皇太子時代から写真展のご訪問を受けるなど交流があった。

 新著の基になった計12回の連載「スーパー・ロングインタビュー 白籏史朗語りつくす」は、井ノ部さんが昼は弁当を囲み、夜は酒を交わしながら張り付きの取材を続けて執筆した。

 高峰をより高みから狙う情熱と、自らはもちろん他人にも妥協を許さない厳しさの陰には、田舎育ちや学歴へのコンプレックスがあったのではないか。そのコンプレックスが力の源にもなっていた―。白籏氏の心の内を引き出すために質問を重ねた。

 「しつこいな」「しつこいのはこっちの仕事だから」とのやりとり。執拗な取材で、険悪なムードになることもあったという。

 白籏氏の強いだけではない人間性に興味を持った井ノ部さんは、連載後も周辺や関係者の取材を続けた。昨年11月、白籏氏は86歳で死去した。

 井ノ部さんは白籏氏について「触るとやけどをするような強烈な個性の持ち主だった」と振り返る。長きにわたって追い続けてきたのは「大家でありながら子どもっぽい悪口を言うなど大家然としたところがない。父母への深い敬愛の情を持つなど、多面的な人間性を備えていた」のが大きい。

 激しい情熱から「赤鬼」の異名を持つ一方、白髪の姿や南アルプスの白峰三山を好んだことで「白」のイメージでも語られた白籏氏。井ノ部さんは「金剛夜叉明王」に重なると言う。「コンプレックスをばねに信念に従ってあれだけの仕事を成し遂げた。今は『巨匠あっぱれ』としか言いようがない」

 326ページ。2200円。

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