1940年2月、陸軍を志願して福岡の久留米にある第18師団に入隊。門司港から出港し、41年12月にマレー作戦でマレー半島コタバルに奇襲上陸したが、胸部に砲撃の破片を受けて負傷した。43年に帰郷療養の許可が下り沖縄に戻ると、45年4月1日には米軍が沖縄本島に上陸した。読谷村の自宅から見えた海は米軍の艦船で真っ黒だった。日本軍の命令で家族と離れて南部へ移動することになり、同郷の友人と行動を共にするが、友人は米軍に機銃で腹を撃たれた。その友人は「自分はもう生きられない。どこで死んだか家族に伝えてほしい」と言って拳銃で自殺した。(2016年琉球新報掲載、当時94歳)

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 今年、終戦から75年を迎えます。戦争の時代を生きた人たちの証言を聞く機会が減りつつある今、これまでの取材や投稿の中から貴重な「言葉」を紹介し、戦争の悲惨さ、平和と命の尊さを見つめ直します。全国の地方紙とも連携します。

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